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「最古の類人猿化石」
 

   つい最近、ねつ造さわぎでゆれた考古学の世界である。アフリカで、25年間の長期にわたった調査の結果が発表されているとはいえ、発見を喜ぶよりも、「ねつ造」でなければいいがなと思うようになっているのではないかなと、このニュースを重大な関心をもって聞いたであろう考古学会の空気を読む。仮にそうなら、この種類のニュースに冷静になっていることは、いいことではないかなと思う。2000年宮城県筑館町の上高森遺跡の調査団は、「70万年以前や約60万年以前の石器を発見」とセンセーショナルに発表した。この「大発見」によって色めきたったのは、実は科学者ばかりでなく、あの「新しい教科書を作る会」のメンバーだった。もし、その発見が真実であるとすれば、日本人は全人類史においても「類(たぐい)希なる」太古から存在していた由緒ある種族であるということだった。当然ながら、日本国の優秀さは、天皇に起源をもつことにされた。ところが、あのねつ造騒ぎによって、報道そのものが虚偽であったとわかったという顛末があった。この「夢の発見」に酔ったのは、一部のナショナリストばかりでなく、むろんマスコミを中心として、教科書執筆者、文化人類学者、そしていわゆる歴史学者たちも例外ではなかった。
 今回の新発見と全く関係がない話でもない。人と猿との溝を是が非でも埋めたい人の思想と行動は昨年のねつ造騒ぎにも似て、複雑怪奇である。 
 類人猿発見は、進化論学者の夢であった。昨年もフランスで「新発見」と報じられ「法外な値段」で売ろうとした輩がいて、実はそれは猿の骨をバーナーで焼いて「古代に見せかける」ような加工までしてねつ造した小細工だったということが発覚し、“お縄 ”になったというニュースがあった。ゆえに、このてのインチキ発見を歓迎し「高値」をもちかける見えないネットワークが存在する。
 日本では歴史修正主義の立場がそうであるともいえる。あるいは、同じような意味で、人類に何らかの「序列」をつくりたい人々がいるということであろう。エリート層だろうか。そうかもしれない。もし、権力者側に進化論を確信する生物学者がいるとして、そのこととたとえば「八紘一宇」思想とが結びつくとどのような「化学変化」がおこるか。より猿に近い種族と、もはや猿ではない進化を遂げた高い地位にある種族とを分けてしまうだろう。より猿に近い種族ならば、早く抹殺して地上を優秀な種族で満たしたほうがいいのではないかという恐るべき思想が生み出されることもありえた。
 それゆえ、類人猿発見はそのような立場にある人々が、私財をなげうってでも手に入れたい悲願だったはずである。だが、「サヘラントロプス・チャデンシス」発見が「ねつ造ではない」ということを証明することのほうがもっと難しそうである。
 

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   長野県知事の不信任決議

 長野知事の田中さんがついに、議会から不信任決議をつきつけられたと報じられていた。くるところまできたのかという認識ばかりでなく、田中さんが自分の立場を曲げなかったというだけのことなのであって、このような事態を招く必然性が始めからあったのだともいえる。
 今や、だれでも言っている月並みないい方だが、大規模公共事業の中止で始まった青島都政が、都民にとってきわめてわかりにくくなっていった時、当時の都議会サイドからは、むしろその妥協に妥協を重ねた都政を「やっとおとなになった」だの「やっと都知事らしい現実的な手法が見えてきた」と、歓迎していたのだということを知る人は知る。
 長野県におけるダム建設など巨大公共事業には「そうとうなうま味」があるのだろうとみえて、田中さんが明るみに出すまでは、それこそすべて「籔の中」にあった。
 本来なくてもいいどころか、自然破壊にさえ繋がる大規模事業が見直されることに対して、県議会サイドはそうとう不満らしい。関連業者との利害関係や、旧態依然とした天下り体質が生み出す「平和」が崩されたという現象は、傍目にはきわめてわかりやすい。
 田中さんが不信任決議をくらった経過も、実に分かり易い。そのわかりやすさだけでも、田中さんのこれまでの働きは注目に値すると思っていた。(あえて「旧」と呼ぶが)旧・長野県議たちは、このところ日本国民の中でおきている「地核変動」のことがよく見えていなかったようである。県議たちが、いかに目先のことで動いていたかが明るみに曝され、次回の知事選では田中氏再選はほぼ間違いないだろうから、(ぶっそうなこと書くなと言われそうだが、暗殺などよほどのことがないかぎり、)県議たちは、民意といかに乖離していたかという「大恥」を日本国民の前に曝すことになろう。このような事態になるのを県議側が読めなかったのではなく、県議側の体質そのものが田中県政の事後効果として、正直にあぶり出されているからに過ぎない。
 「地核変動」という言葉さえ聞き慣れるほどに、今一般社会の変化は著しい。
 普段、何気なく市民派の顔をしている社会活動家(風)の人物に対して、田中さんの今回の顛末について尋ねることは、その真価を図るための非常に有効な試金石になると思う。これは、私がホームスクーリングで子どもを育てていることを誰かに打ち明けた時の反応によって、その人の学校信仰度がわかってしまうのに似ている。田中さんの場合は市民感覚度というか、脱官僚度というべきものか。質問そのものにではなく、質問にどんな対応を示すのかが大切なことである。
 キリスト教倫理からすると、ブレアさんのように「家庭人」であることに市民的評価を引き留めておくような英国では、あのような生活態度は受け入れられないだろうと思う反面、何かやってくれそうな「怪物」が歓迎されるのもいかにも日本的なことかもしれない。だからこそ、当然のような市民感覚一つで勝負しているような田中さんは、(偉そうないい方。何様だおまえは!と言われそうだが)本当に「捨てがたい」。
 いや、長野県民の方々のそのような思いが伝わってくるようだ。
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大検制度廃止

 文部科学省は、高卒者や大学入学資格検定(大検)の合格者らに限って認めてきたする方針を固めた。(7月2日 毎日)

 大学入学資格の要件撤廃は早ければ2003年春からの実施予定と報じられています。
 もし、ホームスクーリング出身の子が、来年大学入学を希望する場合、「大学が独自の入学資格審査で高卒と同等以上の学力があると認めた18歳以上の者」なら入学が許されることになるということです。
 これまで、義務づけられていた「大検」が全面的に撤廃されることで、受験志願者は、国立大学を含む大学側の提示した資格試験制度に応じた入学準備にシフトすることになりました。
 硬直しているといわれてきた初等中等教育制度に、ここにきてやっと「風穴」が開けられたことになり、中高中退者、インターナショナル校卒業者にとってばかりでなくホームスクーラーにとっても、歓迎されるべき制度改革だと思います。
 これまで、「不登校」の子どもは、順番に上り詰めるべき階段を踏み外したとされて、遅れを取り戻すために、無理に院内学級に入れられたこともありました。
 中学をやっとの思いで卒業しても、大学入試資格を得るためには、これまで「大検」がのしかかっていたために、高校程度の学力を得るための塾に通い詰めなければならなりませんでした。 大検廃止の知らせを聞いて、これまで大検突破をめざしてきた「大学入試志願者」は、今までの努力について、空に向かって拳闘してきたような空しさを覚えるに違いありません。
 制度改革によって、「何のために学ぶのか」という目的意識が、これまで以上に問われることになるります。
 これから、飛び級制度がさらに緩和され、17才以上であれば、大学入試も可能になるとうかがっています。「入学は、誰でも可、しかし、卒業資格は誰にでもというわけにはいかない」という方向が明確になるでしょうし、次に期待されるのは「大学入試制度」の完全撤廃であるに違いありません。これもほどなく実現するのではないでしょうか。
 大学もしくは、大学院の卒業資格はこれまで以上に「学びの質」が問われなければならないのです。なかなか学位がもらえないというのは、学びの場にある学生さんにとっては、確かにいやなものですけれど、悪いことばかりではないのです。
 一方で、卒業校や取得した学位を鼻にかけるような学歴信仰の風土は、また別の意味で病んでいるともいえます。
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      「3等海佐」のリスト
  海上自衛隊の石川亨幕僚長は28日、防衛庁で記者会見し、海上自衛隊幹部が、情報公開 法に基づいて情報の開示を求めてきた請求者についての個人情報などを一覧表にまとめていたことを認めた。(5/29毎日)
  おおかたの予想通り、防衛庁はリスト作成のための組織的関与を否定した。
 個人への責任転嫁と綱紀粛正を宣言するという対面でマスコミや市民運動からの非難をかわしたいらしい。戦前の特別警察暗躍の歴史は、戦後も敗戦直後は「共産党情報」に対して警察組織においては数10億円規模の「莫大な報奨金」が動いていた。ゆえに、警察下部組織内部の情報争奪戦もあったのであり、共産党幹部私邸などへの盗聴器設置などは早くからおこなわれていた。情報(リスト)だけで、特別機密費が支出されてきた。だから、自衛隊関係者のリスト作成など、実はものの数ではない。これは想像に過ぎないがリストの「ランキング」があることが予想される。つまり、「鑑定の結果」高く評価されるものもあれば、それほど高い値がつかない場合もあるということだ。
 戦後、一たんは元特高警察従事者は解雇されたものの、すぐに復職した。これはとうぜん「天皇の処刑」が見送られ、「象徴天皇制」としてしぶとく本質を残したまま生き残ったことと連動していたのである。それで、当初はGHQ指導下にあって、諜報活動は、共産党関連情報に限られたが、もともと特高警察がねらっていたのは「反天皇」情報だったことから、民主主義的な市民運動が「反米」や「反靖国法案」などで見逃せなくなると、時の政府は、「公共の福祉」を最大限に拡大解釈して、「要注意人物のリスト」をキリスト者を含めた一般市民にまで広げてきた。ゆえに、今回のリスト発覚の記事は、それが事件として取り上げられた一つの経過として、、あまり高値のつかなかった自衛隊関係者リストを下級官僚が不注意に取り扱ったにすぎないのではないかと読む。
 戦前の体質は変わっていない。
 ゆえに、本当に日のもとに曝されなければならないリストは、防衛庁ばかりでなく、海上保安庁、その他国家公安委員会管轄の倉庫深く眠る。
 書類として、しかし最近では一部CD化された筈である。
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    想像力ということ(続き)
  数年前、筋ジストロフィーという、全身の筋肉の働きがゆっくりと衰えていくという難病にあって車椅子生活をしているNさんの介助アルバイトをしていたことがある。たくさの介助者の一人として、街中を歩くことや、観劇に付き添う介助をした。いわゆる「寝返り」ができないので、一晩傍らにそいねをして夜通し寝返りの介助をしたことも数度ある。
 彼は「自律支援センター」の事務局長という役職にあり、在宅障碍者の介助派遣事業をしている一方で、立川駅周辺の「散歩」を日常的にしていた。行政に対して、障碍者の立場から、車椅子が入れないような道や、階段や段差の改善を行政に対して働きかけるためである。
 JR立川駅にエレベーターができる前のことだから、おそらくNさんやその自律支援センターの所長だったW氏の働きかけがあったことは間違いない。
 その活動について、行政側やJR東日本からの要請があった結果とは思われない。車椅子がなければ生活できない一市民として、声を発していたに過ぎないのだとおもう。彼の発想は、カナダや米国の社会制度や人権感覚に影響を受けたもので、主眼としていたのはきわめて明解であった。
 自分たちの働きは、町づくりの最先端なのである。今街の中に溢れている段差や階段をなんとも思わない人でも、やがて年齢を重ねるにしたがって、体は動かなくなった時、その問題性がわかってくるであろう。そのようになっても、何の苦もなく町に出て、自由に外の空気をすえるようにするために、どんな工夫が必要か。今、様々な障碍をもっている人の立場に立って発想すべきではないか。だから、これから建物や町をつくりたいと思うならば、障碍をもった人を探し出してもその話に耳を傾けなければらない。
 これは、決して高飛車ないい方なのではない。
 一番弱い人の立場を想定して、町や建物の構造を設計することが、将来年を重ねて動けなくなった人にあわせて後から立て替えをするような「出費」をひかえることにもなるし、そんな経済上のことより何より人にやさしいことが、町を美しくする最大の秘訣なのだとおっしゃっていた。
 「障碍を持った方は、社会の最先端情報を備えておられるのであって、むしろ、健常者は障碍をもった方の意見を捜してでも聞かなければならない」そのような考え方は、最先端の考え方と呼ばれつつある。企業や行政公共事業のコンサルティングという立場なら、N氏の働きこそは、重要、いや最も重要な「仕事」であるに違いない。健常者の想像力が及ばないところを、助ける(介助する)働きとしてである。 
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  想像力ということ

 「相手の立場になって、ものごとを考える」ということがいかに大切なことか、そのことだけとると、誰も異論がないだろうと思う。
 大量生産と大量消費の時代がすでに終わり、たくさんのものをつくればつくるだけ売れるという時代から、消費者のニーズにいかに柔軟に対応できるかを巡って熾烈な競争が展開されている時代には、なおさら「想像力」なるものが要求さているのだろう。どんなニーズがあるのかということへの視野はあるいは、成功の鍵ともいえるものは、マーケッティングリサーチだけでひらかれるわけではなく、やはり「相手の立場に立って、ものごとを考える」という訓練から生まれてくるのだと思う。
 今の学校教育の問題点も(いや欠点といっていい)、またここにある。
 「教師によく評価される」ためとか、仲間外れにならないようにとか、ましてや点数のためにひたすら思考活動がおかれることで、むしろ子どもたちの持っている想像力は大いに疎外されきたと思われるからである。実は、疎外してきたに留まらない。ものごとを想像することは、禁止され、思考内容はその形式、目標にいたるまでもすべては「鋳型」にはめられて抹殺されてきたのである。
 では、「想像力」が養われるには、どんな方法があるのだろうか。
 第一には、それは、読書にあるのかもしれない。絵本が、子どもの成長過程で必需品といわれるのは、子どもにとって、世界や人生について思いめぐらすための「想像力」が養われるためといわれる。幼少の時代に、親が絵本を読み聞かせることがどんなにか、大きな可能性を秘めているかについて示しているの本といえば、詳細は割愛するがあの「クシュラの奇跡」に優るものはない。
 要するに、聖書の読み聞かせは言うまでもないことだが、その他にも多くの書物に触れることは、それだけで子どもからどれだけ「想像力」が引き出すことになるだろうかと思う。
 このとき、そのジャンルは、たとえばなんでもかまわない。キリスト者だからといって、それが異教的な書物であると烙印をおされるやいなや、「読んでもいけない、触れてはいけない」と済ませてしまっては、それこそ「禁書」のリストをつくたところで、イスラム圏における知的風景が示すように、やせ衰えていくだけになるだろう。
 たとえば、異教的な思考形態について、彼らがどんな考え方をするのかについて「想像」するためには、その立場にあって書かれた書物を読むのが最良であることだろう。私は幼少の頃、幸いなことに「これは読んではいけない」などという人がまわりにいなかったので、日本の寓話や伝承作品などをあきるだけ読んでおおいにそのニヒリズムに「懲りた」ものだ。イスラムの人々がどんな思考形態にあるのか、彼らの文化圏において書かれた書物は、絶好の材料になるかもしれない。彼らがあたりまえの人間であり、普通に痛みや感情に優れているという少なくとも「想像力」があれば、空爆などという手段を控えられたかもしれない。
 私は、映画もよくみる。
 映画も二次的に「想像力」を涵養してくれる恰好の材料になりうる。普段おめにかからない犯罪人や裏社会の原理や、そこに生きる人の心理、獄中にいる人、権力の座にいる者、戦争に駆り出される人のこと、その他特異な罪について、たくさんのことを教えてくれよう。
 けれども、聖書の「自分を愛するようにあなたの隣人を、愛しなさい」という戒めは、あのカーネギーが「人を動かす」のなかでも引用したように、すでに紹介した想像力のための教材がすべて色あせてみえるほど、強烈で、根本的なのである。
 隣人愛から、相手の立場に立つための「想像力」が生み出されるに違いない。キリストの教える隣人愛は、このように近代資本主義社会に必須である「想像力」への重要な鍵となるだろう。たとえば、愛があれば、国民の労働意欲をそぎおとしかねないあの「商品券」なる愚策なるものを生み出しはしなかった。
 愛があれば、昨今のどこぞの国の首相のように靖国参拝を強行して、近隣諸国の反対や、訴訟にまで訴えて反対する人たちの心を「想像」できないということはない。
 愛がないのか。それは、確かにそうだろう。
 しかし、それらにおしなべて欠落しているのは「想像力」でもあるのではないか。
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ホームスクーリングとフリースクール(その3)

 これまで、少し触れてきたように、フリースクールとホームスクーラーとの間には、やや複雑な事情があった。ホームスクーラーの問題は、孤立化にある。周囲の直接的な反対ばかりでなく、町の空気そのものが、「子どもたちが学校に行っている時間」というのがあり、午前中子どもが買い物に行こうものなら、必ず町行く人々から「ぼうや、学校はどうしたの」と言われることになっていて、説明に困るという「苦情」を以前我が子からうけた。(説明に困るらしく、午前中は外出しないという状態で数年が過ぎた)同じような立場におかれるホームスクーラー同志が連絡をとりあいたいと思うことは、クリスチャンでなくとも同じである。1990年あたりに、ホームスクーラーの有志が、「Home Grown Kids」というミニコミ誌を発行していた。今は廃刊となっているが、10号あたりまでいったと思う。そのなかに何回か文章を書かせていただいたという経緯があり、実は、本ホームページのコンテンツはそのミニコミ誌に投稿した内容が母体になっている。このあたりは、「草の根期」にあたり、日本中でもホームスクーラーの数は数家族しかいなかったと思う。私自身もこのミニコミ誌から多くのことを学んだ。
 ドイツのシュターナー教育の原型とその様々な変遷。フレネの自由教育。イギリスのアザワイズ運動や、サマーヒルスクールとその実績。デンマークの国民学校、ホレスホイスコーレの基礎をつくった牧師グルントビの業績。そして、あのホルトが創設したGrowing Without Schoolネットワーク、いわゆる「GWS」。さらには、当時のホームスクーラーにとって唯一のホームスクーリング認定学校として知られていた、クロンララ通信教育。などなど…。
  ホームスクーラーの寄り合い所帯であった「ホームグロウンキッズ」は、当時フリースクールとして実績のあった「ある居場所」と連帯をもちたいという方向にまとまっていた。寄らば大樹の影という発想ではなく、すでに米国などで顕著になっていたホームスクーリング運動を紹介し、不登校のネットワークに知らせていただきたいという願いがあったからである。動機はごく単純なことである。ホームスクーリングはいいものなので、不登校で悩んでる皆さんにも是非知っていただきたいと思ったからである。
  すねたいい方と言われるかもしれないが、この申し出は「けんもほろろ」とまではいかなかったが、ほとんど取り合っていだけなかったのである。その理由は、すでに(2)のところで書いた。
  数名のホームスクーラーとしては、残念な思いがつのっていたのである。
   ところが、1996年頃だったと思うが、このフリースクール主催で、ホームスクーリング国際会議を主催するとの情報が入ったのである。晴天の霹靂というが、これまでホームスクーリングを紹介したくて、門前払いを受けていたような私たちの側がむしろ驚いたのは言うまでもない。
  このフリースクールは、国際会議をひらくにあたって、英国や米国での事前調査を綿密におこなっておられた。主催者の方を最終的に動かしたのは、クロンララスクールの女性校長と出会った頃だったとみられる。クロンララは周知の通り、通信教育であり、海外の「学生」もサポートしていて、この恩恵にあずかった日本のホームスクーラーは多い。
 私はこのあたりに、某フリースクールの経営戦略を読まざるをえない。
 フリースクールにさえ、不登校児は生まれていて、在籍しながらも、在宅のままにある児童をかかえていたのである。不登校で悩む子どもを在宅状態にあってもサポートすることそれ自体は、すばらしい考え方であろう。フリースクールが及ばなければホームスクーリングがあるとうのではなく、ここで、「在宅支援システム」をつくってフリースクールに子どもをひきとめておきたかったのではないかと思う。
  東京都内でひらかれた国際会議は、盛況であったが、そのメッセージのポイントは「ホームスクーリングは確かにすばらしい。しかし、日本でホームスクーリングをするには日本流のやりかたがある」というものであった。会場では、「ホームスクーリング」ではなく、「ホームエディユケーション」という表現が提唱されていたが、これが米国などでは主流のいい方ではないことを知っていた参加者のホームスクーラー数名には違和感があった。
  結局、国際会議であったにもかかわらずフリースクールによって新規事業としてはじめられてた「在宅支援システム」が紹介されたのみであり、私を含めてすでにホームスクーリングを始めていた数家族は沈んだ気持ちのまま会場を後にしたのである。
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ホームスクーリングとフリースクール(その2、語調を統一しました

 この国で、不登校問題の現場に直面するとき、学校枠のしばりが非常に強く、この部分だけとると自由主義圏のそれではなく、むしろ、北朝鮮など共産主義国家が非常に強い教育の縛りを国民に対して要求しているのと変わりない状態なのではないかと思われる。
 「旧文部省」が1993年に「不登校はどの子にもおこりうる」という答申を出した。
 これで、それまでの不登校観が一変したともいわれている一方で、実はこの答申の本当の意図は、それ以降の「水も漏らさぬ不登校統制」への道ぞなえだったのではないかというみかたもある。
 たとえば、就学時検診の時、医者は就学該当者の子どもの「適性」のふりわけを担当し、ここで普通学級か養護学級(学校)か、それとも特殊学級かに事実上ふりわけられる。
 様々な問題性を含む就学時検診であるが、そのとき、すでにある子どもは「不登校予備軍」としてマーキングされ、その上で、もし学校環境にその子があわなかったという場合、ただ「学校があわなかった」では済まない。
 子どもがただ集団にあわないというだけなのに、「多動障碍」という病名が待っているのだ。
 学習能力が個人差があって、クラスのペースについていけなければ「学習障害」と呼ばれる。
 人との交流がうまくいかないで、やや孤独傾向にあるとか、クラスになじめないだけなのに「アスペルガー症候群」という病名が用意されている。学校の外で子どもが育つことが許されていないために、子どもたちが学校の外にいるためには、「病気になる」意外にはなかった。
  事実、一時的に発熱や腹痛など本当の病気になる子どももいる。「熱が出なければ学校を休めないということで、熱を出して、どうしても熱が出ないとなると、引きずられるように学校に行く」という無茶苦茶な事例が現実に今でもごろごろしているのだ。
  子どもが学校の外にいたければ、病気になる以外にないという社会現象は、まさに異常。
  かくして、私はフリースクールの現場で、抗精神薬などの薬物の副作用の影響下にあって、まさに「死屍累々」としか表現できないような子どもの悲惨な現状をみてきた。子どもの悲惨は、アフガニスタン周辺だけではありません。この国の子どもたちは、不登校問題の周辺において、きわめて悲惨な状態の中に投げ込まれているのだ。 
  そのような「学校のカルト」が支配している環境でしたので、多数のフリースクールが官民とりまぜて登場してきた。つまり、行政の側からは「不登校撲滅キャンペーン」ということで、「保健室などへのカウンセラーの増強」と銘打って、不登校治療の任務を帯び、粗製濫造ともいえるような数千人規模の学校カウンセラー配置がおこなわれてきたのである。
  あなたは、粗製濫造という言葉が、「言い過ぎ」とおもわれるか?
  ハローワークなどで数年経験を積んだ友人のあるベテランカウセラーが、東京都の「学校カウンセラー募集」に応じて、面接試験に臨んだ。そこで「もし、不登校の子どもがいた場合どのように対処しますか」という質問を受けたとのことである。「その子どもの意志にまかせます」と言ったこの方は採用されなかったが、この方よりも、はるかに経験の浅い別のカウンセラー志望者は「子どもが学校に復帰できるように促します」と答えたとのことで、結果から判定基準を推し量っただけとはいえ、事の顛末の背景には学校カウンセラーの使命それ自体ががもともと生徒の側から出た発想を許さないという行政的縛りがあるのは明白である。
  ただし、ただ「推し量った」だけなのでもない。私は1995年に東京都教育委員会が都下の各公立学校長あてに送った「マル秘文書」の写しをもっている。その中には、不登校児の登校日数として数えてもいいフリースクールの認定基準が書かれていて、登校を促しているべきことが行政命令として記されているのだ。
  学校に行くことだが是とされているのは、いわゆる「適応指導教室」だけではない。児童相談所や、青少年センターのカウンセリング室も、その存在がゆるされているのは、「適応指導」というまさにその役割においてのみであることは明白なのである。一方で、奥地圭子さんの運動にみられるように「不登校は病気ではない」という立場から、民間でたくさんのフリースクールがひらかれた。子どもの居場所を学校以外に認めないのはおかしいという個人の正義感を背景にしたものや、親同士が連絡をとりあってできた「ネットワーク」が育ってできたものもある。
  そのような学校以外の子どもの場であるフリースクールが、いわゆるホームスクーリング運動に対して開かれているのかというと、そのようにはいえないようだ。
 なぜか。
 その第一の理由は、フリースクールに期待する親は、「学校」への期待感が密かに温存されていて、それゆえ子どもにとって理想の学校像をフリースクールに対して求めているために、「教育の主導権を親に戻す」というホームスクーリングの最初のステップをなかなか乗り越えられないからだと思う。そのスタンスは、チャーチスクールに対する親の期待感とも重なる。一つの枠にあてはめるような教育はよくないのだから、子どもの視点で教育環境をみなおしたいのだが、学校教育は捨てがたいという立場もありえる。私はホームスクーリングだけが唯一の教育であるとは思っていないので、「それもあり」という意味で理解しているつもりだ。
 ホームスクーリング運動は、もともとオルタナティブ(選択可能)という立場であるから、ホームスクーリングでは、始めから多様な教育形態をうけいれようとしてきたからだ。 
  ただ、親御さんの中に、学校教育から受けた傷が深くあった上で、それが「恨み」のような感情と結びつくことで、学校とは別の意味で集団指向が強く残り、「子どもは集団の中で鍛えられる」とまではいかないまでも、「子どもの集団性」を社会性の訓練とみなす傾向が色濃い場合、ホームスクーリングはなかなか受け入れられないことだろう。
 クリスチャンの立場からではないホームスクーラーのネットワークが1990年代前半にすでに草の根レベルで多数存在し、何度かフリースクールとの「連帯」を試みました。そのあたりの顛末は大変複雑なので、また別の文章にまとめたいと思う。
 結論としては、その試みは沙汰止みになった。
 ホームスクーラーの側ではなく、フリースクールの側にホームスクーリングそのものを受け入れる余地がなかった。主な理由は、フリースクールが、不登校の傷を癒やしたいという家族によって支えられているために、家庭を再構築するなどという視野に対して精神的余裕がなかったということ、「フリースクールにみられる集団性との強い関連(縛り)をホームスクーラーに要求してきた」ということ、さらには、「米国は米国。日本ではホームスクーリングは無理である」というある種の信念のようなトラウマがフリースクール運営の主流に浸潤していることなどと、密接不可分の関係にある。
  くれぐれも、米国のようにホームスクーリングが、まだ有望なマーケットと呼ばれるまでにはなっていないので、「ホームスクーリングはもうからない」と判断しているだけなのではないということをご承知おきいただきたい。ホームスクーラーを抱えることは経営戦略の上で不利というだけの判断からでたのではないのだ。
  ただ、私は戦略という意味では、これと反対の意見である。これからのフリースクールは、かえって「ホームスクーラーとの連携なしには経営戦略上不利だ」という時代が必ずくるだろうと予想しているからである。
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ホームスクーリングとフリースクール(その1)
  
 私は東京国立市に、ある「遊々舎(ゆうゆうしゃ)」というフリースクールのスタッフとして在籍して早くも10年を越えようとしている。
 この「遊」という漢字は、正式には造語の漢字をあて、本来一文字しかない漢字の「子」が、遊々舎の場合は3つおかれる。そのこころは、「子どもは遊んで育つ」。「学校に行っても行かなくても、子どもが育ち学ぶ場として居場所づくりをしたい」ということから、すでの活動を始めていた国立市の「登校拒否の子どもをもつ親の会」のメンバーなど数名で、JR国立駅と立川駅の中間地点あたりの国立市西地区の一画に場を開設した。
  ここまで言うと、キリスト者によって始められたわけではないということになる。確かにそうだが、しかし、創設のあたりの逸話からは国立のとある教会のメンバーや、滝乃川学園の職員など数名のキリスト者有志が個人的に何らかのかたちで関わっていたということも知らされる。
 遊々舎とのかかわりは、当時不思議な方法で知人となっていた市会議員(当時)の方が、「ホームスクーリングということで学校に行かないなら、是非紹介したい場所がある」ということで、遊々舎にご一緒してくださった時にはじまる。今、当時のスタッフは加藤氏と数名以外は入れ替わっているが私がホームスクーリングで子どもを育てているときいて、少なくとも、すぐさま了解し、ただちに受け入れてくれた…と思った。もっとも、日本人ホームスクーラーと全くの初対面には違いなかった。
 当時のスタッフの心中には受け止め方に微妙な「ゆらぎ」があったらしいことは後から知らされるようになるのだが、社交辞令であったにせよなかったにせよ、どんなことをしているかは了解していただいたようだった。
 しかし、当時牧師職にあった私が、何故キリスト者ではない人の中にホームスクーラーであることを紹介しようと思い立ったのかというと、それほど複雑な事情があったからではない。
  当時、すでに米国では20年以上の蓄積があったホームスクーリングは、日本では全く知られておらず。周囲にはホームスクーリングを受け入れてくれるような場所も人も、在日宣教師などは別として、日本人の中には皆無だったからである。
 ホームスクーリングそのものは特に、他の組織やネットワークに依存しなければできないということはない。それは、チャーチスクールに対しても同じで、チャーチスクールがなければホームスクーリング環境として不充分であるとはいえない。
  ただ、ホームスクーラーのためのネットワークとして機能する機関は必要と考えた。確かに、ホームスクーラーは、もともと「寄らば大樹の影」という発想に立たないが、支え合うための最小限のネットワークは必要と考えた。だから、ホームスクーラーとして充実しているのならば、チャーチスクールや遊々舎のようなフリースクールとかかわる場合も、限定的にならざるをえないと思った。そんなことを言っておきながら、私は牧師としての立場からではなく一人のホームスクーラーとして不登校の子どもの居場所を支える活動を志願し現在に至る。
 間接的には、ここで私を通じて、ある親子が求道者となって教会に連なるようになったものの、遊々舎の場ではスタッフ活動に徹してきた。子どもや親御さんの中には、今だに私の「本職」を知らない人もあるらしい。
 副産物として、不登校の現場の事情を学ぶ機会を得ていること。スタッフや遊々舎を訪れる家族を通じてノンクリスチャンの方々の意見や考え方を虚心に聞く機会を得ていること。不登校の子どもを受け入れるフリースクールがホームスクーリングをどのように受け入れるのかを学び、あるいは後述するように、フリースクールにはホームスクーリングを受け入れない部分が生まれるということを学んだ。
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絶対評価の基準

  小中学生の学力評価が「相対評価」から「絶対評価」に来年度 から改められることに伴い、文部科学省の国立教育政策研究所は28日、通知表や内申書の基に なる指導要録に記載される新しい評価の事例など参考資料を公表した。(読売新聞)
  これまで、一つのクラスをタテ割にして、相対的に評価が決まっていたのが子どもを扱うにはあまりに不合理であるということで、ここにきてやっと子ども一人一人の個性が活かされることが期待されて「絶対評価」が実現するということになった。
 相対評価は、教師の立場からするとやりにくかったのだろうかと考えると、たとえば一つのクラスの中の配分を得点の高いものから順番に配列する作業になるわけで、生徒の個性とか能力差などということは分配作業のなかで「相対化」しても良かったのである。子どもの評価そのものが難しいので、良心的な教師のジレンマにもかかわらず、機械的に割り振らざるをえなかったし、評価できない場合いわば悩み込んでしまわないで、評価基準そのものに逃げ道があったわけだ。ところが、絶対評価が導入されると、親御さんからするとやっと自分の子どもの個性が学校で受け入れられるようになったと「陽光」が差し込んだように歓迎されるかもしれないが、教師の側に立って考えると、これほどしんどいことはない。
  非常に緻密な「評価」を多岐にもうけるか、それとも「評価」そのものをあきらめるかの二者択一しかないのではないだろうか。「絶対評価」とはいえ、学校の評価とはいかに、世間の常識とかけ離れていることだろうかとも思う。相対的であれ絶対的であれ学校が子どもを評価するというは、「客観的評価」とも違うからだ。つまり、職業の客観的適性評価はありえると思うからである。ゆえに、オリックスの仰木元監督がイチローをみた時、その「評価眼」がいかにすぐれていたかということは逆に言えるかもしれない。コーチたちは、当時のイチロー振り子打法をマニュアルにない悪い癖ということで「矯正」しようとしたが、仰木さんは「真価を」を見抜いたのだ。ゆえに、選手の真価を見抜けることこそが「監督の適性である」とさえ言われる。
  適性基準がある…ということはあたりまえのことだ。
  車の運転には適性がある。(ちなみに、プロ野球の選手には、200項目もの評価基準があるといわれる。)教会によって相違点はあるだろうが、「監督(牧師もしくは、牧師に準ずる働き)」という職務に対しても、やはり(詳細は略するが)明確な基準が存在する。だが、それだけではない。個別の能力判定は、実は非常に難しい。家庭教師などやっている私は、マンツーマンで数年間子どもに向き合ってきた。しかし、子どもの本当の力がいつどんな時に引き出されるのかなどということすら今だに「わからない」。
 いつも、人が人を評価するのはやはり本当は無理だと実感する。ちなみに、私の弟は趣味でありながら今は玄人はだしでリコーダーをやっているが、周囲では20代になるまで彼が音楽の才能に目覚めるとは全く気づくことはなかった。人の能力は、わからないと思ったほうがいい。ある人の才能と呼ばれるものは、早くから目覚めているだろう。しかし、人の能力は、もしかしたら40代とか50代、いや70代まで眠っているかもしれない。アブラハムの妻サラは、80歳を過ぎてから息子イサクを産んだではないか。
  学校という環境に限ってのはなしだが、「評価そのもの」をあきらめてしまわない限り、相対評価から絶対評価に変わったからといって、学校のこれまでの人材振り分け型システムは全くかわらないので、事実上相対評価復活のためにたくさんの抜け道ができる。ゆえに、さらに判定は主観的な曖昧さを帯びることになるので、皮肉なことに、教師の判断が一層絶対化される方向にむかうだろう。つまり、学校での「評価」とは始めから子どものためではなく、教師のために存在していたということがさらに明るみに出されるだろう。
 HSLDAのファーリス氏は、評価基準の設置を提案した当時のクリントン大統領に対して、ホームスクーラーには、「評価基準は必要ない」と、語った。
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 不登校観をめぐる覚え書き
                                         
 日本における不登校問題を概観するとき、渡辺位(たかし)氏は要(かなめ)の位置にいる方です。氏は元軍医で、従軍兵士がおかれていた精神状態と登校拒否の子どもたちに類似点がみられることから、問題の多くは学校側にあるのであって、今の学校を拒否するというのは、むしろ子どもにとっては正常行動であるという立場に立たれています。
  一方で、不登校問題は、1980年代に不登校がまだ「登校拒否」としか呼ばれなかった時代に諮問員として文部省(当時)サイドに関係されておられた、故稲村博氏の存在なしには語れませんでした。稲村氏の不登校観の特色は、「登校拒否行動は思春期にある児童の問題行動の一形態である」とみなす考え方にあります。その学者としての影響力は大きく、当時の文部行政ばかりでなく、児童精神医学界や臨床カウンセラーの多くにも及びます。稲村氏の影響力は、文部省行政にとどまりませんでした。氏は熱心なキリスト者であり、「いのちの電話」を主宰されていました。それで、いのちの電話活動への大きな貢献などからキリスト教界の中には、稲村氏の働きを評価する声が高く、たとえ氏が文部行政がらみの不登校観を引きずっていたとしても、実際には良かれ悪しかれ氏の意見をまるごと受け入れてきたのが今日のキリスト教界であったともいえます。
  稲村氏は、「登校拒否は本人のなかに病理的原因があり、放置すると、社会的不適応がひどくなり、20代を過ぎても問題が残る」という発言をされていましたが、わけても、氏の発言が「登校拒否は 早期発見と早期治療をしなければ、深刻な問題になる」として1988年9月16日の朝日新聞夕刊記事にとりあげられたことが社会問題になりました。この記事への反論は、ご自分の息子さんが不登校であった奥地圭子さんから社会に問われました。奥地さんは、すでに渡辺位氏らとの相談のなか、登校拒否は病気ではないという立場から、フリースクール「東京シューレ」を生み出していました。そして、最近は「不登校新聞」(全国紙約5000部)の創刊にもかかわられ、現在でも多数の著作を通じて、登校を拒否する子どもを守る立場から「学校信仰問題」を世に問い続けておられます。
 ところが、1993年、文部省はそれまで非行・問題行動の範疇に一括りしてきた不登校観を180度方針転換し、「どの子どもにもおこりうる」という答申を出し、不登校を少なくとも行政指導上からは異常行動とはみなさなくなったのでした。これは、奥地さんらの地道な運動の結果であったともいえます。
  言い換えれば、それまでの政府見解は、諮問委員であった稲村氏自身の手によって変更されるまで、周辺にそれまでの「路線」を問題視する声は皆無だったということです。
  ゆえに、「不登校は主の恵みである」(稲葉師)といえるチャーチ&ホームスクーリングの立場がいかに斬新なものであることでしょうか。
 以上のような経過から、たとえば教会の外部にいて、民間の不登校情報などからすでに多くを情報を学んでいる親御さんにとっては、新しい教育運動であるチャーチ&ホームスクーリングがどんな不登校観に立っているのだろうかという点は、未知数であり、言い換えればそこにきわめて大きな関心が寄せられているといえるのです。
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 ポイ捨て禁止条例

   
  東京都千代田区(石川雅己区長)は22日、通学路などでの路上喫煙を禁止し、違反者に罰則を科す条例を制定する方針を明ら かにした。同区によると、路上喫煙に対する罰則は全国で初めて。
  従来の空き缶などのポイ捨て禁止条例などに、路上喫煙禁止やピンクチラシ配布規制を加えた総合条例「安全で快適な千代田 区の生活環境の整備に関する条例」(仮称)を制定する。区の骨子案では、区内の通学路を中心とした一部地域を路上禁煙地区 に指定し、地区内で喫煙したり、吸い殻を捨てた者を2万円以下の過料に処す。区は区民の意見を聞いたうえ、早ければ6月にも 条例案を区議会に提出する。(2002/2/23毎日新聞)
  行政による喫煙への「罰金を伴った取り締まり」が、ようやく「路上での歩行喫煙」に及んだということ。今までこのような規制がみられなかったのには、それなりの理由も背景もあろう。判で押したように、ここにも産業界への配慮とも、多大な政治献金が隠れているとも言えるかもしれない。
 車を運転していると、前方を走る車の窓からまだ火のついたままのタバコが投げ捨てられるのを目撃してきた。決まったように高級車。決まったように外はピカピカであった。
 この行為は、犯罪的だ。車の窓をあけていて、たまたまそこに飛び込んだらと思うと、あの行為の他人への配慮のなさだけでも心が曇る。路上でのポイ捨ては、さすがに見られなくなったが喫煙者には、タバコが他人の心身を傷つける凶器になることが意識されていない。健康への被害が、あまりに過小評価されてきたことには、習慣性の強い喫煙習慣を税収の「トリ」とみて「取り締まり制度」を維持している政府に責任がある。取り締まりそのものは、やむおえないにしても、問題は何をねらった「取り締まり」なのかということである。千代田区ではわけあって路上喫煙への住民の苦情が非常に多く、今回は、路上喫煙禁止区域を明確化することで、むしろ、通学路以外の喫煙にお墨付きを与えたかったのではないかと言っては言い過ぎか。時間帯設定や、禁止区域の限定もありえるとのことで、空洞化の推測は限りなくリアリティを帯びる。
 喫煙及び喫煙習慣そのものが健康と社会に対して有害であるという認識が通念にならない限り、当然これだけでは、歩行喫煙がなくならない。
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「ホーム」の再構築

    瀬戸内さん人気がすごいときいた。とてもフレンドリーであかるいお坊さん。しかも尼さんということで、各地の講演会では立錐の余地もないほどの盛況になるとのことだ。ただ、瀬戸内さんが、先日ニュース23で筑紫さんと対談されていた時、どうも聞き捨てならないことを語っておられた。

 「将来は一夫一婦制なんか、なくなっていくんでしょうね」

 現在の結婚制度は、人間社会がアポステリオリにご都合主義で制度上創設したものであるから、一生ある人に操(みさお)を捧げるなどというのはばかげているのであって、好きな人ができて熱くなったら、不倫でも何でもして結婚関係なんかのりこえられてるのが理想なのだともおっしゃっていた。あるいは、ただ、訳本「源氏物語」の相対的結婚観が歓迎される日本社会の空気に対して、それとなく宣伝活動をねらっておられたのかもしれないが、日本での寂聴さん人気の秘密もそのあたりにあるのであろう。
しかし、この考え方そのものに対して、欧米社会には、日本で考えられているよりもはるかに倫理的にきびしいスタンスがみられる。
 たしかに、結婚をカトリック圏のように儀式として、制度としての離婚にまでも一貫して反対してきたという立場にも問題がある。しかし、イスラム圏と違って、欧米社会、特に米国では、さまざまな意見を多様に受け入れるその一方で、結婚を「神からの召命」と考えるプロテスタントの気風は健在だろうと思うからである。
 話は飛ぶが、数年前韓国の釜山に行った。普通の街の景色で、日本とあきらかに違うのは、ピンク系の「捨て看」と呼ばれるいかがわしい宣伝がどこにもみられなかったということである。これは、(例外の場所があることは当然とはいえ)米国の街中でも同じであった。
 「ホームスクーリング」で見直されているのは、教育観ばかりではなく、「ホーム」…つまり、家庭の意味を聖書的に再発見することにある。だから、当然、たとえ、いわゆる不登校問題などで脱学校論側にあってすぐれた論客になりえたとしても、一方で伝統的フェミニズムを確信した立場をもち、しかも脱結婚論にまで及んでいる時、そこにホームスクーリング論構築の発展と継承を期待するのは難しい。
 一方で、私は学習者に過ぎないのであり、瀬戸内さんの「学校観」については、私にとって未知の領域であることは間違いない。
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「できちゃった婚」の罪

  聖書の記事を紹介するので、「四方山話」はどうかとも思うが、あのダビデの「不倫の罪」のことを語ろうと思う。
  ダビデには複数の妻がいた。そればかりか数名のそばめがいて、生まれた子数十人に及ぶ。(第二サムエル記5章)
(私は旧約の時代と新約の時代に神の計画に段差がある立場には立っていないし、ダビデではなく、主イエスにおいて示された「一人の妻に一人の夫」という考え方がもっとも造られた時の「人のしくみ」にかなっていると信じている。)
 不倫は決して幸福をもたらさない。いや、幸福なはずはない。そのことをあからさまに示しているのがバテシバを巡るダビデの罪であろうと思う。
 その頃、ダビデ王権は確立し、イスラエルは安定をみていた。ダビデは勝利を確信し、周囲の誰もそれを疑わなかった。誘惑は、試練のただなかよりも、成功の絶頂期に訪れる。人が、名誉と富を手に入れた時、破滅の入口は門を開けて待っているのである。
  ダビデは、ある日「成功の酔いごこち」の醒めないころ、夕暮れに王宮の屋上で涼んでいた。その時、眼下にバテシバが裸体のまま沐浴しているのが見えたのである。酒の酔いというのではない。成功している自分自身に酔っていたのだ。
 この時のバテシバについて、聖書はあまり語らない。夫のウリヤの性格が「謹厳実直」「忠心愛国」そのもので、あまり家にかえろうとせず、バテシバにとっても不満がたまっていたのではないかと推測する意見もある。つまり、あえてダビデを誘惑しようとしたのではないかというものだ。しかし、これは「ダビデばかりでなくバテシバにも、非があったのでは」というダビデを免罪するようないい方で、聖書の視点とは違う。
 はなしは違うが、かのタリバン政権は、女性にベール着用を義務づけ、違反者には時には死をもってみせしめとしているという。「男が誘惑に陥らないように」などと言っているそうである。不倫にいたっては、両者とも公開処刑である。(イランでは、数年前窃盗犯に対して、公開斬首の刑が科せられたことがある。イスラム法それ自体が、またこれ、問題)
 女性が外見を飾るのはそれ自体が罪なのではない。誘惑にはまるのは悪いが、誘惑に陥らせる側はさらに悪いという考え方は、ダビデの不倫には通用しない。聖書の原則でもない。たとえば、アダムに対してエバは果たした悪役はあったとしても、聖書は、「アダムの罪」とみなしているのと一環している。
 ダビデは、すぐに王宮にバテシバを呼び、その日のうちに妊娠させてしまった。この時、バテシバは独身ではなかったのであり、夫ウリヤは兵役にとられ、不在だった。相手が独身の女性に対して、「できちゃった」なら罪が軽いか。そうではあるまい。カトリックのように結婚を神が「神聖」とみなしているという立場を私はとらないが、摂理の中で男女を結びあわせられた創造者である神への信仰は深刻に問われるだろう。新約の視点からしても「結婚はすべての人に尊ばれるべきであり、夫婦の関係は汚してはなりません。神はみだらや者や姦淫するものを裁かれるのです」(ヘブライ13:4)とも語られているのだ。
  結婚の意味、子どもが生まれること、父親になること母親になることが男女の交わりに伴うすべてを(たとえ「無知」のゆえであっても)考慮しなければ、欲望に身を任せることそれ自体が罪とみなされよう。ダビデが女性のことで傲慢になったのは、あのカルメルのナバルの妻であった「美貌の人妻」アビガイルを召し入れた頃に始まっていたのではないかというのは、私の考えである。アビガイルのことでダビデの問題点を言う聖書学者があまりいないのほうがむしろ不思議なくらいだ。
 ここで、さらに罪の轍(わだち)はさらに深まる。ダビデは、自分の立場を悪用して、ウリヤを合法的に葬り去ることを考えたのである。悪慈慧もここできわまったものだ。
 つまり、猛々しい戦士であるウリヤを、あえて敵陣に送る。その上、一番敵対心に燃えているであろう前線に送って、「わざと死なせるように」したのである。完全犯罪でありながら、自分の手は汚さない。しかも、ウリヤは名誉の戦死者として栄誉が与えられ、残されたバテシバを召し入れたとなれば、憐れみ深いダビデとして国民からの賛辞こそ受けられても、非難されるようなことはない。「できちゃった」の後ろめとその臭気を、すべて別のにおいで覆い隠すことができると思ったようである。
 罪は、それを覆い隠そうとした時、さらに臭気をはなつものだ。
 ダビデは、ただちに正妻としてバテシバを召し入れた。悪いことをやっている者は、その時には、万事うまくいくと思いこむのである。預言者ナタンが、ダビデの罪を暴くまでは、人の目からは正しいことをしていると見えたのだ。
 この罪の結果を、ダビデは生涯かけて引き受けなければならなかった。
 息子アムノンによるタマル近親強姦事件。息子アブシャロムの反逆と「公然わいせつ」。そして息子ソロモンがつくった巨大な王宮のハーレムは、やがて、国家を存亡の危機に陥れることになった。
 父の影響…、特に性倫理は、どんなに隠れていても、その子どもたちに露呈する。
 必ず。
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「おいらん淵(ぶち)伝説」考
 
 数年前、家庭教師先でのはなし。
 「幽霊スポット」に興味をもつ10代の少年がいた。
 以下はこの「心霊オタク」から聴かされた興味深い逸話の一端である。
 「幽霊なんか〜」とか言って一蹴できなかったので、結果として、伝説誕生の歴史的背景をじっくり聴かされることにあいなった。
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 現在の国道411号線、いわゆる「青梅街道」から塩山・甲府に繋がる山道には俗に「心霊スポット」と呼ばれる場所がある。
 青梅市内から、車で甲府方面にひた走ること約2時間足らず、丹波村から塩山に通じるあたり深い林野を通過すると、やがて車道工事によって鋭く切り裂かれた山野の景色は、威圧感さえ与えるような絶壁と変容し、丹波渓谷へと通じる。塩山まであと少しという一ノ瀬橋の付近に「おいらん淵」と銘打たれた地名は実在する。
 「おいらん渕」の知名度はきわめて低い。「おいらん」とは、いわゆる遊女「花魁」のそれである。
 「おいらん淵」には、幽霊出現の謂われがある。けだし、その場所には信憑性を疑えない歴史的逸話が存在した。
 甲州といえば、戦国武将にあって旧甲斐国治安の「名君」として辣腕を馳せた武田信玄をぬきには語れない。その信玄は「鉱物採取」の趣に希有であり、現在でも甲府が国内有数の水晶産地であることに、その政治力の片鱗がみられる。ちなみに、八王子が絹織物の産地として名を馳せた謂われも、信玄の姫君が落ち武者と共に甲州街道を経て八王子に逃亡し、やがて定住したことによってもたらされたことに遡る。
 武田の落武者たちは、逃亡の地を現檜原(ひのはら)村山中にもとめた際、「ほうとう」という雑煮うどんを甲斐から持ち込んだ。
 武田信玄は、かの丹波山奥地に「金」鉱脈を発見したといわれる。いわく「丹波黒川金山」であった。
 金山はやがて雇われた労働者の人口をささえる「宿場」と化すほどであった。悲しむべき必然とされることながら、一時はそこに労働者の日銭をあてにした「遊廓」が生まれ、遊女たちのたむろする界隈ともなった。
 ところが、何故か信玄は、突然金山事業から撤退することを決めた。
 金鉱脈情報は、門外不出の御法度。真玄とその側近のものにとっては彼ら以外には、絶対に知られてならない厳重な機密情報であった。鉱脈の存在は、口外することは、たとえ死をもってさえ許されなかったのである。
 かくして労働者をはじめ遊女たちは、「現地処刑」ということになる。
 「処分」その日、特別な舞台装置が谷底を見おろす高台にしつらえられた。
 あでやかな衣装をまとった花魁(おいらん)たちは、俗界の煩悩を一時忘れようと、「はれの日」を優美な舞踊で飾ろうとした。
 そして、全員が着飾り舞台の上で静まって楽の音を待った。
 楽の音が奏されようとするまさにその矢先、屋台両端を支えていた2本の大綱は、隠れて控えていた下級武士のもつ鋭利な太刀によって切断された。
 だまし討ちである。
 ただちに屋台骨のすべてが轟音と共に、もんどうりうって崩壊したのである。遊女たちはだれ一人として助かることなく、叫び声を後に漆黒の谷底に消えたのであった。
 これが「幽霊」出現伝説の起源である。
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 この日本には、支配する者が、支配されるものに威力をふるい、権力者がどんなに慈悲仏の仮面をかぶろうとも、すべてが恐喝と反人権の思想に貫かれていた時代があった。今でもあると言われるべきか!
 どこにも「人の先に立ちたいと思う者は、仕える者になりなさい」というキリストの声は聞かれなかった時代があったのである。
 ましてや「女性の人権」などは、それこそ絵空事にしかすぎなかった。
 キリスト教伝来が、いかにこの国にとって革命的事件だったことか。日本史の「リアリティ」に迫れば迫るほど、そのことが明白になるはずである。かの歴史教科書問題のことを考えながら、この逸話を思い出していた。
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