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鈴木イチローと松坂大輔
《ヴィジター》
大リーグのイチローさんは、国民栄誉賞を辞退したそうですね。
《日野のホームスクーラー》
大きく報道されていました。辞退したのは、さも「イチローさんらしい」と思われた方が多かったでしょう。大きな目標を持つ人は、小さな目標に満足してはいけません。かといって、「賞そのもの」を過小評価しているふうでもないことろも良かったですね。卑屈でも傲慢でもなく、ただ目標を目差している様を、「武士道の理想」と重ねる人もいました。そんな意見を聴きながら私は彼のスタンスは「武士道」のニヒリズムともまた違うのではないか、とかなんぞ理屈っぽくグチャグチャ思っていました。
キリスト者の視点から考えると「人からもらう栄誉」には影がつきまとうことが多いのではないかと思います。「国から誉めてもらう」という意味をただ斜めにみているわけではなく、(これまで受賞した方、たとえば衣笠のような人からたくさんのことを学べるでしょうけれど)つまり、本当に評価されなければならない仕事や作品は、本来「人の目につかない」ものでしょうし、本当にすぐれた人の仕事や作品は、「人の評価」から遠いところにあるという視点が、(聖書の引用などはあえてしませんが)、「キリスト教的視点」なのではないかと考えています。それゆえに、本当の「ヒーロー」はマスコミの視野の「死角」にいるのだと思います。たとえば、ニューヨークで救出しようとしてテロ被害を受けた消防士や、黙々とそのビルの片づけ作業をしている人たち。アフガニスタン難民を支援しているNGOのボランティア。日本で路上生活者を支えている多くのキリスト者とか。

酒をたしなまないので、その筋はただ聞き流すだけなのですが、「きき酒」と仕事があるそうですね。熟練したソムリエは、酒の質を数滴で判別するのだそうです。その意味では、「多くの人に支持される」ということは必ずしも悪くはありませんよね。むしろOSのウインドウズが多数のユーザーに支持されてマイクロソフト社が「独占禁止法」にひっかかたというニュースにには、多くのユーザーの支持はむしろ当然というものさえあります。いいものは、やはり多くの支持を受け、そして人気を造り上げていくのでしょう。(食品に関しては漫画「美味しんぼ」に詳しく紹介されています)反対に、群衆にあえて背を向けたような「アングラ」にこそ「神髄あり」という考え方もあり、それはそれでどこかで「国民栄誉賞的精神性」と暗黙のうちに繋がっているように思いますね。人の視線を最優先しているという点において。

松坂大輔さんは、「沢村賞」をもらったとか報じられています。最近、交通違反の顛末で謹慎処分を受けながら活躍している松坂を励ますという意味もあるのでしょうけれど、もしここで松坂さんが「イチロー」と同じ様なことをいって辞退するというようなことがあったでしょうか。またあったとすれば、どんなことがあったでしょうね。若い優秀な選手が賞をもらうこともわるくはないけれど、あと数年後のほうが良かったのではないかという意見はあることでしょう。もっとも、松坂はただひたすら野球が好きなだけで、「賞をもらおうともらうまいとあまり気にしていない」様子でしたけれどね。

「福音功労賞」?
えッ。そんな賞があるんですか?キリスト教?
プロテスタントですか。
ウーン。信じられません。
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米国・テロ襲撃事件
(2001/09/15更新)
 2001年10月初旬に渡米を予定しているものとしては、今回の爆破テロは一層衝撃的であった。
  米国の、ある中規模大学の受け入れ事務をしている米国人と、最近メールのやりとりだけで知己になった。
    彼のメールに、大学の学生のなかに、両親とも国際貿易ビルとペンタゴンに働いていていまだに連絡がとれないという学生がいるということで、「祈ってください」とあった。
 どんな主義主張においてさえ、テロ的行為は厳重に罰せられなければならない。
 国際社会が、テロ行為に屈し、結果として闇社会や裏取引を横行させることに、どれだけ世界を退廃と堕落に導くの根があることだろう。
 しかも、数千もの尊い命を奪った罪は、計り知れないほど重い。
 だが、同時に私は、テレビ報道をみながら、あの惨事にまきこまれ、苦悩のうちにある人に全く思いをいたすことのない、抽象的な分析や、日本人の安否報道に「異常なまでに」こだわる報道関係者の心にいたたまれなくなっている。
  政治的宗教的な分析や、邦人情報が無意味であるというのではない。必要なことは承知の上である。
  ただ、官僚主義的シニシズムの汚染が、このような報道関係者たちの心にも読みとれるということだ。やたら事件の因果関係の分析を好む。しかも、時には笑みさえ浮かべて、自分の分析がもっとも説得力に満ち、そして事件の核心として正しいといいたがって得意げだ。ところが、事件に遭遇した米国人の痛みや悲しみへの共感はすっかり抜け落ちているのだ。
 なぜ、日本のメディアはブッシュさんが引用した詩篇23篇の言葉を無視するのだろうか。米国人の「心」が見えていないからなのではないのか。宗教色がきらいとか、わけがわからないというだけではないだろう。
 靖国の「慰霊と招魂」には是が非でもこだわりながら、「キリストの慰め」がわからないという、つまり無知というだけのことか。
 そうではあるまい。「日本的無宗教」という変幻自在な宗教の立場による、キリスト教への反感が隠れているのに違いない。
 確かに、ブッシュさんはお父さんの血をひいて「したたかな政治家」に違いないが、私はブッシュさんが詩篇23篇の言葉を米国人支持者向けにもっぱら政治的恣意的に引用しただけだとは思わない。
 大規模な武力行使は不可避だろう。
 しかも、それはあの湾岸戦争の繰り返しとはいえない。今回のテロ事件はイラクのクエート侵攻への「正義の憤慨」を盾にした湾岸戦争時とは、全く質が違う。数千もの米国民間人が犠牲になったということや、国際的には湾岸戦争時には批判的だったフランスやロシアそれに、いわゆるイスラム諸国までもが今回の軍事行動への協調姿勢を示しているからである。
 イスラムは「聖なる戦争」という。そして、そのために殉教さえいとまないという。ところが、テロ的な行動でどれだけの悲惨が生まれるか、どれだけの尊い人命が塵灰に帰するのかについての想像力が、すっぽりと「抜け落ちている」。
  宗教的妄信に酔う人々と、自分たちの分析力に酔う人々には、奇妙な内面的共通がある。
  それは、 「憐れみのない心」においてである。
  憐れみのない心は、サタンからのものだ。
  なぜか。
  サタンは最初から人殺しであるからである。人殺しを正当化するために、幾度となく「聖」という言葉が使われてきたのだ。これはなにもイスラムに限ったことではない。キリスト教も歴史のなかで同じことをやってきたのだ。
 だからどうしたというわけでもない。
 そのようにいう私とて、ただ神の前に祈る以外にないからである。
 「軍事行動をとらなくてもいい道はないか」 今はそのように祈るのみである。
 残念ながら、テロ根絶のために、武力行使なしですまされるという可能性はきわめて低い。
 だが、テロの温床は、パレスチナ人の心の奥底にある。キリスト教とイスラムという単純な宗教対立の二元論で片づけられてはならない。それは、こともあろう、アメリカがイスラム原理主義によるテロの温床を作ってきた主役であるということも冷厳な事実であるからだ。
 私はこの事件がおこる前に、是非ここに書きたかったことがあったのだが、米国行きの準備や手配のために果たせなかった。
 その内容とは、国連の国際人権委員会は、イスラエル国家のパレスチナ人への処置を「人権侵害」と判断したのだが、米国は内容の不備をいいわけに同意を拒否し続けてきたことである。当然、これは今に始まったことではない。
 突然、外国の軍隊が侵略して、住民を虐殺し土地を奪い、そればかりか「この土地は、我らの先祖に約束されたもの」と平然と言い放った輩がいた。
 シオニズムを身に帯びた、中東戦争におけるイスラエル軍である。
 これは、あの天皇の支配する国が八紘一宇をたてに傀儡政権である満州国を偽造した事件よりさらに質(たち)が悪い。それ以来、パレスチナには、イスラエルによる組織的人権侵害が長期にわたり、しぶとく存在している。
 問題は、そのイスラエルのやりかたを、米国がみてみぬふりをしてきたことだ。アメリカは、国家間の不可侵を言い訳に、人権侵害を容認してきたばかりか、武器の輸出によって「自分の手は汚さずに」間接的にこれを支援してきた。
 このあたりの事情が明るみに出されると、「このテロはおこるべきして、おこった」といわれてもしかたあるまい。威圧された民族の鬱積した怒りっと復讐心が、非近代的なテロ戦略を醸成してきたことは間違いあるまい。
  米国は、私の「恩人」のような国である。私を生み出した国といっていい。
  キリスト者であるからばかりでなく、ホームスクーラーとしても、心からそのように思うからだ。
  それだけに、アメリカのパレスチナ政策のことを想うと深い悲しみが溢れる。
  一方で、CNN報道などで詳細に報じられる米国人の犠牲者とその家族のことを思うと、私はとてつもなく悲しい。
  テロリストへの怒りは、映画「ダイハード」のような絵空事ではなく、私にとっても現実のものだ。
  しかし、「パレスチナの悲しみ」はさらに深い。
  あなたは、イスラエル軍の銃撃に遭遇し、昨年、エルサレムで父に寄り添うようにして死んだパレスチナ人の小さな男の子のことを知っているか。私は報道写真でしか知らないのに、このことにただ涙する。
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小泉首相の「涙」

 特攻隊記録などのを前に、首相が「涙」する姿が報じられた。
  小泉の情深い人柄がうかがわれ、これが半ばアイドル化した「人気」がバブルのように増殖する所以であることは疑いようもない。しかし、ヤスクニの問題の根の深さは、まさにその「涙」に象徴される。つまり、国の総代ともいえる内閣総理大臣によるヤスクニ参拝とは、国がそのために殉じた若人を「いたみ」「悲しみ」そして「たたえる」こと、まさに首相が戦没者のために涙するというそのことにヤスクニの本質があるのである。ゆえに、靖国国家護持を願う人々の究極的な願いは「天皇による靖国参拝(涙)」といわれるのであり、ゆえに岩手靖国訴訟の高裁判断は、天皇による公式参拝も含めて明確に「憲法違反である」ことを示唆したのであった。
 戦前戦中と、若人が死に地に赴くとき、死ねば靖国の「神」となり、そればかりか首相をはじめ天皇さえ「涙」してくれるということが生真面目に戦死の大義名分とされていた。近代軍国主義国家は、若人の血を啜る巨大な吸血モンスターにたとえられよう。小泉さんの戦士者への感情吐露あるいはその報道は、「個人的な情念の世界」にカムフラージュされて、この巨大な「安楽死装置」を見えにくくしているゆえに、文字どおり犯罪的でもある。小泉さんはこのことを知らないのか。無知のためだけなら、まだ救いはあるかもしれない。
 問題は、「国家のための自己犠牲」を首相が涙するというゆえに、死を、尊び、憧れ、美化する風潮が若い世代を中心にすでに生まれていることにある。国のために死ねば、首相が泣いてくれる、もしかしたら天皇も泣いてくれるかもしれない。優秀な若人の血を捧げる装置はすでに、PKO法によって復活稼働済みである。この国にはいつでも新しい「特攻隊員」を生み出すことができるのだ。
「国のために殉じた人に哀悼の意を表して、どこがわるいのか」(小泉)
「あんた。あのね、いつまで公的だの私的だの、そんなわけのわからないことを言っているの。東京都知事としてに決まっているじゃないの。バカなこと言うんじゃないよ!」(石原)2001年8月15日、このように言う二人はいつでも歩調をあわせて親密であったということを記憶しておきたい。
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「新しい歴史教科書」問題
 
 愛知県桑名市内の私立学校で採用を採択されたことに続き、問題の多い「教科書」を今度は東京都がこともあろうに「養護学校」での採用を決め、さらに愛知県教育委員会など数県がそれに呼応するように養護学校での採用を決めた。
 問題点は多岐にわたる。
 第一に「検定制度」の問題。この国は、信教及び出版の自由な国であるのだから、どんな思想に基づいた「教科書」の出版も、とりわけ、公権力によって制限されるべきではない。憲法によれば、たとえばイスラム圏でそうあるように、特定の宗教団体が政治的圧力によって国民をその支配下におこうとしてはならないのである。内容に問題のある教科書だからという以前に、検定の名のもとに、国家が教育の内容に「口出し」できるようなシステムそのものが、戦前の国定教科書を産み出すようであり、現憲法の精神との矛盾をかかえている。教科書検定制度そのものが、時代遅れである。ゆえに、かの教科書も他の数多の出版物と同じように、読者の選択によって「淘汰」されるべきであると思う。国家による教育統制の姿がおりしもあぶり出された結果である。
 第二に、「養護学校」での採択という問題。
 私は、もともと、教育の現場での「教科書」の役割が肥大化しすぎているとかねてから思っている。教科書の真理性は、キリスト教における聖書の「真理性」とは全く異なる。後者は、啓示の書物としてアプリオリで客観的な真理なのであるが、前者はものごとの原理や論点を人の経験や研究の堆積のみによって文書にまとめたものだからである。ところが今の学校の教科書の取り扱いは、あたかも聖書を体系的に示した教理問答書のような扱いに等しく、書かれたことの内容としての真理性そのものが問題にされないどころか、かえって、生徒にはただ「記憶」して「反復すること」だけが要求される。
 だからこそ、子どもの学習を「教科書」におきかえることで、子どもから真理を発見する動機そのものを奪ってきたともいえるのだ。そこで、「養護学校での採用」である。教育現場の問題が二重に反映されてくる。
 養護学校の実態は、たとえば「障碍児を普通学級へ全国連絡会」からの問題提起を一瞥するだけであぶり出されるであろう。個々の多様な事例あろうが、公教育で「特殊教育」が生まれる経過には、もともと、普通学級の「平均点」を下げたくないという思惑が働いている。何のためか?
 偏差値によって厳密に差別化された「学校評価」のシステムのなかで、ひたすらランク落ちしないために、点数のとれない子どもを「特別な配慮」の名目で囲い込むためにほかならない。もともと、この特殊・養護学級という制度そのものが子どもの視点にたってできているものではないからである。
 点数主義・序列化・企業による青田買い(甲子園野球が代表各)という学校の悲しい存在理由がもたらした「あだ花」であるというとらえかたは、特殊・養護教員のなかにむしろすぐれた教育者が多いという事例とは別に、間違った認識ではない。
 あなたは、ただ不登校であるというだけで子どもが「特殊学級」に入れられるという事例がこれまできわめて多かったという実態をご存知だろうか。養護学校で公然と「あなたがたは、将来知的な仕事につくことはないから、せめて体力をつけなさい」と言われて、授業はおこなわれず、校庭マラソンだけで午前中時間を使っているいう実態を。
 ゆえに、今回の顛末は、「採用の実績」という既成事実を積み重ねているだけなのであって、最初から子どもの視点に立っているわけではない。普通学級でさえ、教師一人に子ども40人ということからして、子どもの視点はとっくに失われているのに、養護学校においては「今更何をかいわんや」が悲しむべき実態なのである。
 皮肉なことに、石原都知事は、本当は都民のことを考えて行動している人なのではない、ということをある程度知らせてくれるという副産物さえも産んだ。
 第三に、NISIOやHUJIOKAの言論が、どれだけ「国益」を損なってきたかということ。被害は韓国との交流事業の中止や共同事業企画の中止で済むかどうか。ワールドカップが無風で済むはずもなかろう。
 もし言論の自由の名のもとに、それがあの「オウム」のように国益を損なうほど被害が肥大化した場合、「公共の福祉」に反するということにならないか。もし、オウムを「反社会的」というならば、この教科書を推進する人脈とその運動体こそは、明確に公共の福祉に反する「反社会的」言論と呼ばれなければならない。(2001/8/9)
 
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  ガンジー/キング牧師/池田大作

【Vizitor】最近、社会のなかで気がついたことがありますか。

【Homeschooler】
 電車の中刷り広告なのに、やけに分かり易いと思ってみていたのが、脳裏に焼き付いて離れません。マハトマ・カンジーとマルチン・ルター・キングが、「池田大作」と並列されていました。ガンジーとキングさんは、非暴力直接行動によって「平和を来たらすもの」として著名なのは、わかるとしても、池田さんの写真が、並列にって? ドーしてでしょうかねェ。そうか。池田さんも、「非暴力直接行動」の立場を支持しているということなんでしょう。
 政治家でいくと、南アフリカのマンデラさんや韓国の金大中氏のような、「正義の直接行動」をあの方はなさっているんでしたかね。よく存じませんでした。前の二人にあって、池田さんにないものはといえば、ノーベル平和賞ということかな。そうか、「池田さんは、前の2人にも優って劣らないくらいのノーベル平和賞に値するような世紀の大人物なるぞ」というアピールなんだな…と思いましたね。
 フランス政府は、創価学会をカルトであるとの認識を示しました。(この場合のカルトとは「全体主義的拘束的反人権的団体」という意味。ヨーロッパではカルト基本法などによって、カルトの要件として精神操作および精神の不安定化、肉体の健全さを損なう、周囲との断絶、信者の自由の制限、教祖/グルが活動を主導する、子供のバランスのとれた発育を損なう、金銭活動の重視、集中した改宗勧誘……などが定められています。)
 ノーベル賞そ〜んなにほしいんかな…。
 とか何とか言っているうちに先の参院選で、公明党は議席を維持しました。政治支持基盤を背にした、強がりみたいにも見えますそれにしても、あまりに露骨です。正直言って恥ずかしい。いかにも、名誉心と我欲の強い方なのではないかとのネガティヴな印象が残ります。池田さんは「私は桜が好きだ。私には夢がある。私は日本中すべての駅という駅に、桜の木を植えたい」とかなんとかおっしゃていましたね。そうはイカンザキ!? とは言われませんでしたか?
 ん〜。この方本当に憧れている人は、ガンジーでもキング牧師でもなく別にいるのではありませんか。
 誰かって?
 そりゃ、たとえばナポレオンとか、ヒロヒトとかルドルフとかね。
 間違ってますか?
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マリナーズ 日本人への取材を拒否
 
  あまり、大きく報じられていない記事が興味深い。
 「米大リーグ、マリナーズは12日、イチロー、佐々木両選手のプライバシーが侵害されたとして、日本人報道陣による2人への取材を当面禁止する、と発表した」(毎日2001/07/14)
 事の発端は、日本の写真週刊誌が、両選手の球場外での姿を撮影していた事実にある。どこの週刊誌かは報じられていないので不明なのだが、このゲリラ的取材の目的が何にあっただろうかと思う。
 根は、巨人軍オーナーの渡辺さんが、「イチローの活躍で、日本の野球人気に陰りがみえるような事態を産んだ、オリックスの判断は問題」と発言したことにあるのではないか。
 言うまでもなく、大リーグ行きが、イチロー自身の判断によることは、巨人ファンでさえ否定していないだろう。ただ、たとえばスポーツ新聞の売れ行きが、ジャイアンツが勝った時、ダントツであるとされるくらいだから、巨人野球の低迷(プロ野球全体ではない)をいかんともしがたい「経済問題」ととらえる人々がいる。
 ひとり渡辺さんばかりではない。
 マリナーズ首脳がプライバシーの侵害と認めた写真週刊誌カメラマンは、意図的に大リーグ日本人選手の「こきおろし」記事を依頼されたのではないかと想像している。パパラッチ行動は、そんな下っ端記者のさらに孫受けなんだろう。
 一方で、この手の「たちの悪いうわさ」からこれまで巨人選手が逃れてきたことも不思議という気がしている。
 「巨人人気を維持するためには、何でもする」という雰囲気が、業界に蔓延しているのではないか。
 試合数が多いので、当然勝ち数は多い。けれども、負け数だって他球団より多いのに、「首位」なんていうことが公然とまかりとおってきたのは、全く異常である。この手の「嘘」が、公然と大手を振って闊歩している。
 あきらかな虚が含まれるのに、「検定をパスした教科書」として世間に大手をふって害毒を及ぼしているのにどこか似ている。今の巨人野球のあり様は、一つの風潮にすぎないとは思わない。「ただのショー」などと高をくくってはならない。この国で、「絶対巨人主義」という標語は、すでにユーモアやエンターテインメントの領域を越えている。その名のもとに、真の力強さ、スポーツの本当の楽しみが奪われてきた。(巨人を不本意に解雇されて、ヤクルトに入団した入来投手が、今週先発出場し、勝利投手になったという談は別として)
 そればかりではない。
 スポーツへの憧れ、そして、正義や公平の社会的気風までも確実に奪ってきた。
 この責任は非常に重い。
 しかし「市民の社会意識はかなり成熟し、すでに報道やプロパガンダには踊らされなくなっている」と思いたい。
 そのように思うのは、私だけか?
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日本航空123 便  御巣鷹山悲劇考
 

 1985年8月12日 午後6 時12分、すでに今から15年ほど前にもなるにせよ、500名以上の死者となったあの惨劇は記憶に鮮烈である。
 そして、1985年という年は、あの中曾根元首相がいわゆる御用学者集団・靖国懇談の答申を受けて「靖国神社公式参拝」に踏み切った年であり、事故はその3日前におこったのであった。
 この両者の間には、何の相関関係もみられないといわれよう。
 しかし、当時の私の心には、この出来事が靖国公式参拝への「神の意志」が現された出来事として鮮烈に印象づけられていたのである。国民を代表する首相によって「偶像礼拝」がなされようとする時、神はその怒りの意志を明確に示されるであろう。私は創造主をそのように理解している。神は、世界をおつくりになってから、今も明確な意志をもって歴史を支配されていると考えているからである。
 実は、私は当時東京都下のある小さな教会の牧師職にあった。この事故があってほどなくして、普段キリスト者でありながら教会生活を怠っていたある「会社副社長」さんがひょっこりみえたのである。私は彼が礼拝後に語る言葉に驚いた。実はこの方は、大阪主張で、あの日本航空123便に搭乗を予定していたとおっしゃるのである。直前になってプロジェクトそのものがキャンセルになったために、乗らずに済んだというのであった。
 この経験から、マナぬるい生活を改める機会となった。彼は、この事故への遭遇を事前に「回避」されたことに神の意志を見た。同じような意味で、靖国神社参拝に対抗して示されている神の「怒り」の強さをおもわざるをえない。
 2001年8月15日、小泉首相は「公式参拝する」と明言しておられる。
 嗚呼。災いがきますぞ。小泉総理。
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田中眞紀子外務大臣の評判

 政治がおもしろい。
 米国では、田中外務大臣の評判がなかなかのものらしい。
 官僚に媚びた「いい子」ではないこと、自分の意見を持つこと、市民感覚とその視点を変更しないこと。
このどれをとっても、これまでの大臣とは違う。米国とのパートナーシップを機軸とするということは意見を持たないロボットのような存在ではなく、時には苦言さえも言いあえるような関係こそが望ましい。
 アメリカとしても、これで日本の「顔」が見えるようになったと思って安心しているのではないか。
 「にやにや」して、人の顔色だけは伺う外交辞令はうまいが、心の中では闘争心を燃やしているような人より、普天間基地などの正直な「苦言」を言ってくれるほうが、どれだけ「まとも」と思えるだろうか。
 靖国に関して、ナイーブな発言を変えない小泉さんに比べて、田中さんは「靖国参拝はしない」とこれも明確に、政治勢力に媚びていない。永田町界隈で、「ごく普通に、当然のことを言う」ということがどれだけ疎遠であったことか。
 それだけに、エプロン姿の台所の目線そのままの田中さんは、全く新しい風となっている。
 ただし、これが小泉人気と同様に、「参院選・自民党圧勝」など恐るべきシナリオの呼び水としてだけだ利用されるとしたら、もはやこの日本に希望はない。
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惨殺事件 その後

  8人もの幼い命を残虐にも殺傷した宅間容疑者は、取り調べに対して、「精神障害を装った」と供述しているらしい。始めから、殺人計画があって、そのための偽装として精神病患者の免責を熟知していたとすれば、この上もない悪人に違いない。そのように宅間容疑者を認識することが何をもたらすか。
 第一に精神病疾患歴があることから、「無罪になるのではないか」との不安から、遺族からむけられるであろう警察庁へ怒りの矛先が犯罪者自身に向けられやすくなった。第二に、精神病を装ったということであれば、精神病患者へのいわれない「風評」がまきおこるのを避けられるであろういわゆる向精神薬使用の危険性という社会不安も払拭できるかもしれない。
  私は、池田署内部の空気をこのように読む。
 情報は、情報であろう。事実かどうかの判断は、受けての責任において判断しなければならない。
 今の時代、「情報リーク」の意図と、その意味を読み解く学問が要求されている。
 宅間容疑者の肉声が何であるかについて、私にはいまだに疑いが晴れないままである。
 本当に、そのように言ったのかもしれない。
 いや、そうではなく、警察関連が、もっとも気づかったのは「遺族の声」であり「市民の声」なのではないか。民の心を荒立てないために仕組まれた「演出」でなければいいのにと思う。
 そんなことはない?
 いや、しかし、真実が何であるかよりも、「力」を恐れて真実を隠蔽してしまう空気は、すでに日本を覆いはじめている。この空気は、かつてイスラムに対して十字軍を派遣した時のヨーロッパをおおい、そして、ナチス党独裁のもと、ヒットラーのドイツを覆っていた。
 最取的に何が判断されなければならないのだろうか。
 人の死を前にして、あの松本サリン事件で、筆頭容疑者に仕立てられた河野さんの「悲劇」から、何かを学んだ一人として。ただ無意味に幼い命を奪った極悪人がいたというだけで、この事件を終わらせてはいけないと思った。学歴至上主義の社会、医療信仰の社会、学校への信頼度の失墜。考えるべきことは山ほどある。
 ついでに言えば、この事件を受けて、学校の荒廃はますます加速されることになる。それは、警察権力の監視下におかれることが一層公然と合法化されるからである。これまで、保健室教員などによって「歯止め」がかけれていた子どもへの薬物使用などの強制的手段は、加速されるだろう。学校の地域からの隔絶は促進される。これからは「安全第一」が至上命令となることで、学校は自由な教育環境とはますます呼ばれなくなるだろう。
 精神科医療はからくも「免罪」され、以前から厚生省サイドで画策されている、「問題行動児童への向精神薬リタリン」などの使用に歯止めがかからなくなるのことは確実である。
 かくして、学校側が子どもに問題行動があると判断した場合の、学校現場での薬物依存度は一層加速することになる。かくして、この事件の被害者は、一層「問題行動をおこさないように」自己統制させられる現場の子どもたち以外の誰でもない。
 この国には、最後「自分の子どもはその親が守る」という、古くて新しい道しかない。 
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   文部科学省へのメール
 
 ホームスクーラーとして12年、3人の子どもを育ててきた親です。さて、貴ホームページを閲覧させていただくうち、日本労働組合総連合会から「ホームスクールへの支援」についての意見書が提出されている項目を拝見させていただきましたが、
………………………………………………………………………………
ホームスクール等における教育について、一定の要件を満たすものについては、申請をもって公費助成や中学校卒業程度認定試験の一部免除を行うなど、支援策を講じる。ただし、支援を行わないホームスクール等の教育課程や教員資格などの調査はすべきではない。
………………………………………………………………………………
 という内容でした。
この意見書に対する貴省の説明は、以下の通りでした。
………………………………………………………………………………
義務教育は、国民として共通に身に付けるべき基礎・基本を習得させるものである。国民の誰もがこれを等しく享受し得るよう制度的に保障するため、学校教育制度を整備し、市町村に必要な小・中学校を設置する義務を課し、教育課程の基準の設定をはじめ全国的な教育水準の維持向上のための各般の措置を講ずるとともに、保護者にこれらの学校へ就学させる義務を課しているものである。このような義務教育制度の趣旨から考えて、ホームスクール等へ公費助成することは適当ではない。
………………………………………………………………………………
とされてました。私の理解では、憲法条文からは、
3-26-1 すべての国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、
       ひとしく教育を受ける権利を有する
3-26-2 すべての国民は、法律の定めるところにより、その保護
   する子女に普通教育を受けさせる義務を負う
とあり、「義務教育」とはうたわれていません。この背景には、学校教育が、戦前は納税や兵役と同じような国民の義務とされ、国家総動員法のもとに、学校教育が思想統制のために「動員」されたという反省のもとに、教育の自由の観点から、子どもを国家による思想統制と、就労義務から解放するというねらいがあったと認識しています。学校は制度として、子どもたちのが教育を均等に受ける機会を強制的に「行政」に対して義務づけていますが、その「義務」の意味は、子どもが学校に「行かせる」義務ではなく、学校教育を含めて、親に「普通教育」を義務づけている限り、たとえば、「保護者にこれらの学校へ就学させる義務を課しているものである。」という認識は、学校教育法にすら明文化されていない「違憲」状態にあるのではないでしょうか。普通教育を実現するために、学校教育以外がないという認識は、「普通教育」と「学校教育」を注意深く区別した教育基本法の以下の、条文とも矛盾しています。

義務教育 第4条
1 国民は、その保障する子女に、九年間の普通教育を受けさせる義務を負う。
2 国又は、地方公共団体の設置する学校における義務教育については、
  授業料はこれを徴収しない

「学校における普通教育」ではなく、「義務教育」とあるのは、自治体が学校制度を「機会均等」という精神によって、設置維持する義務のことでなのではありませんか。

また、社会教育については、もっと明確に「家庭教育」が明示され、むしろ、自治体は家庭教育を維持し、奨励する「義務」があるのであって、今回のように、親が普通教育選択肢を広げようとする動きに対しては、むしろ「奨励」されるべき事項に属するのではありませんか。

社会教育 第7条
1 家庭教育及び勤労の場所その他社会において行われる教育は、
  国及び地方公共団体によって奨励されなければならない。
2 国及び、地方公共団体は、図書館、博物館、公民館などの施設の設置、
    学校の施設の利用その他適当な方法によって教育の目的の実現に努め
    なければならない。

助成金がホームスクールに対して出されることそれ自体については、かならずしも好ましいとは思われませんが、問題は、貴省の「義務教育」観には戦前の国家総動員法に範をとった時代錯誤がうかがわれるばかりか、より明確には「憲法違反」の疑いが濃厚なのではないでしょうか。

国連によって1948年公布された「世界人権宣言」では、趣旨がきわめて明解でこれ以上解釈の余地はありません。

第26条の3  親は、子どもの教育の種類を選択する優先的権利を有する

あえて「世界人権宣言」を持ち出すまでもなく、本来子どものための制度として用意されている学校教育を含めて、親が子どもに与える義務とされる普通教育の内容についてその種類を選択するための選択肢を広げていただきたいと心から願うものです。
吉井春人
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      池田小学校・白昼惨殺事件

【Vizitor】
 ひどい事件がおこりましたね。
【Homeschooler】
亡くなった児童や、その親御さんのことを思うと、むねが張り裂けそうになります。
それとは別に、教師は別として、子どもたちや、親御さんたちにむけられるマスコミのカメラやマイクは、なんとかならないものかと思いました。刃物を振り回した男は、残酷ですが。マスコミの視線もかなり残酷なんじゃありませんかね。あの時子どもにむけられたマイクは、「刃物」と同じくらい利己的で、一方的で犯罪的でした。
今回の事件から、学校の壁はますます地域から疎遠になり、ますます「学校の社会性」と呼べなくなるに違いありません。警察権力が教育現場に威力をもってくることが予想され、米国のように監視カメラが必需品のようになるでしょう。
悲しく。そしてやりきれません。

【Vizitor】
PTSD(心的外傷後ストレス障碍)が子どもたちの心に残るのではないかといわれていますね。
【Homeschooler】
障碍が心に残るという認識は大切でしょう。
ただ、気になることがあります。
子どもたちへのケアプログラムとして薬剤が使用されることは危惧されます。またトランキライザーなどの「向精神薬」が使われるのではないでしょうか。
犯人には、精神科処方の薬物による玄覚があったとされていますね。もし、PTSD治療の名目としてでも、薬剤が堂々と使用されるようにでもなると、このような悲惨な事件の再生産を影で準備しているようなものではないでしょうか。
「薬」と「毒」、この両者の境界線は実はきわめて曖昧なものなのです。
今回の事件は、「心の治療」のために向精神薬が使われ続けていることへの「警告」 として社会全体が受け止めなければならないでしょうね。せめてそのように受け止めることが亡くなった子どもたちの「血の犠牲」から受け止ることができる声無きメッセージではないかと思いますが、いかがでしょうか。
ほんとうに、8人もの尊い命が失われたんですよ。
ったく…。
地域のキリスト教会が、池田地区の子どもたちのためにも本当の福音を提供できるように祈っています。
いわゆる「教会学校」だけでは不充分でしょうけれど。
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   嗚呼!! 巨人軍
 

  【Vizitor】
  巨人戦の人気に陰りが出ているそうですね。
   
  【Homeschooler】
  そうですか。最近巨人戦にはあまり興味がないもので。ただ、巨人の選手は魅力があると思いますね。誰をとっても、選手としての魅力はすばらしい。松井、清原、西、清水、マルチネス、工藤、それに、高橋。江藤もすばらしい。勝ち負けは別にして、どこをとっても欠点がない。そして、華麗。いっそ、勝ちがわかっている試合なんかしないで、選手一人一人をあの「筋肉番付」みたいに披露したらいいのにね。無理か。

 

     最近のニュースから
  【Vizitor】
   小泉さんは、よく控訴を断念しましたね。

  【Homeschooler】

 小田実(まこと)さんなどの意見を読むと、同じ時期に出された水俣病の高裁判決に対して、国側は控訴したということから、「小泉さんの正義」を「若殿のサル智恵」と揶揄してその中身を疑問視しているようですね。官僚の権力は分散し、多極化していたようですから、小泉さんへのこのての揶揄は、いただけないと思います。今回の決断は、官僚機構からの反発に対して、打って出たのであり、これまで日和見主義的な立場しかとらなかった政治家のなかにあって、当然のことをしたにもかかわらず、長い曇り空に、待望の太陽が出た時のような、晴れやかな気分が鬱積していた日本を覆いましたね。
 問題点は、やはり「靖国公式参拝」を公言してはばからないことであり、控訴断念の行動と矛盾しているということではないでしょうか。控訴断念の後、あの石原知事とすぐに面談しているのも、ずいぶんきな臭いじゃありませんか。当然のことをやっただけなのに、この「人気」そのものの中身が心配です。
 「巨人が勝ってあたりまえ」みたいなもので、マイナス状態がゼロになっただけでしょう。プラスになるかどうかはこれからなんじゃないでしょうか。この人気は、森さんの時に国民の中に鬱積した「クーデターのエネルギー」が、安全な方向で昇華されているだけというくらいに考えたほうがいいんじゃないでしょうかね。

【Vizitor】
いま話題に出た、石原さんの発言がまた記事になっていました。
【Homeschooler】

けさの朝刊ですか。わたしも見ました。
「原発、東京湾に造ったっていい」とおっしゃったとのことですね。そうですか。そんなに安全ならどうして「 皇居に原発を」とは言わないんでしょうね。「(刈羽村の反対住民は)わけも分からん理屈で反対している」とは、この人の発言がますます「漫才」のように聞こえてきます。わざとウケをねらっているとしか思えないんですけどね。志村さんの「〜殿」みたいに。
 理屈ではなく、不安が反対票に反映しているのでしょう。村の人たちの反対票多数側の意味は、むしろ原発推進側の意見が説得力のない「分けのわからない理屈」としか判断できないからなのではありませんか。

 
  
おやじの独り言

【Vizitor】
最近、なにかお宅でもりあがった話題はありますか。
【Homeschooler】
巨人がどうして負けるのかということですね。
負けるはずがないのに、負けるのにはそれなりの理由があるんでしょうから。
あと、勝敗の見えているようなおもしろくない巨人戦にどうして放送局が縛られているのでしょうかね。
サッカーや大リーグのほうが、スリリングで視聴率も稼げるのにと思うんですけれど。
我が家は昨日、日本国憲法のことで、盛り上がっていました。
おしつけだ論だとか、皇位継承権だとか、ニュース(ニュースステーション)で話題になっていましたから。「憲法って何?」と質問してきた子どもたちには、宮沢先生が有斐閣から出されている「わたしたちの憲法」という子どもむけの憲法解説書を「教科書」として渡しました。
学校でもこの本が勉強できたらいいのに〜。おっと、夢かこりゃ。
この国にはいい教科書がまだたくさんありますね。
それと、夕方4〜6時ころのラジオ番組では、「〜学会」の宗教宣伝がやたら耳に入りますね。
お金があるからといって、宣伝活動にある宗教団体が公共の器をほとんど独占的に使うのはどうなんでしょう。やはり、脅威ではありませんか?
家の前を通る子どもたちが最近掲げた「日野バイブルチャーチ」の看板を見て、こんなかけ声をリズムをつけて叫びながら、通るようになりました。
「き、キッ、キリスト教はきらいだ。ほ、ホッ、法華経がいい!!」
くそガキ!とかなんぞ、我ながら不謹慎にも思いましたけどね。
親が、あの家の前で「そういいなさい」とかなんとか教えてるんでしょう。きっと。
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  Zero Earthmine
2001年5月2日(水)
TBSの坂本龍一氏プロディュースによる「Zero Earthmine」の番組を見た。
坂本さんの音楽は、かねてからファンであったので、
大変興味深くきかせていていただいた。
感想?
慈善番組風というところかな。
「斜めに見るなよ」って?
失礼しました。
そうね、音楽ファンとしては、現代音楽の一つとしておもしろかったですね。
音楽としてきくと、「ごった煮」とか言われそうかな。
でも、特に、ボスニアヘルッェゴビナの歌手のメッセージは、言葉は分からなかったけれど、
非常にインパクトがありましたね。
このCDの価値が感じられました。
あと、繰り返して口ずさんでいると、あの「ラピュタ」の挿入曲に似てくるね。
今朝気がついたんだけれど、気のせいかしらね。
久石さんからクレームなんかがなければいいと思うけどね。
まあ、そのくらい、いいじゃないっすか!
CDの売り上げが、地雷除去のために使われるということでしたね。
地雷が戦闘状態が終わった後も、牙を残しているという現実を知らせてくれて
良かったと思うね。
よりイノセントな印象が強い地雷問題などと比べて、
おそらく「自業自得」などと片付けられてしまいそうだけど、
年間3万人も中高年が自殺に追い込まれているなんていう日本国内の現状は
あまりに悲惨過ぎて、テレビ局になじまないんでしょうけど、
どこかで、スポットをあててほしいですね。
一日82人。一時間で約3人の働き盛りがこの日本のどこかで自ら命を絶つ。
これは、異常ですよね。でもテレビ画像などの絵には馴染まないか。
かっこ悪いからでしょう。
残された家族のことを思うと、その悲惨さは地雷に優るとも劣らないと思いますけどォ〜。
そんな「ネクラ」よりも、音楽の清涼感にのせて、いいCDを買えて、
「いいことをした」と少しでも「自己満足」を配信してくれたのだから、
テレビのエンターテインメントとしての価値は相当なものなんでしょうね。

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拝啓 
厚生労働大臣さま

ハンセン氏病の元患者さんたちの、これまでのご苦労が報道から伝わってきただけに、
国側の対応が遅れていることには、元患者さんたちばかりでなく、国民の多くも、
不安を抱いていることと思います。
誤りを認めることが、「不名誉」なことなのではありません。むしろ、今回のように、
率直さを欠くような対応こそがどれだけ不名誉なことなことでしょうか。
私は、必ずしも民主党支持者ではありませんが、管直人さんが厚生大臣だった頃、
血友病患者さんに対して、深々と頭をさげた様子を忘れることができません。
誤りを認めるということが、どれだけその本人や
その所属する組織の名誉に繋がるものだろうかと思います。
管さん個人に対してではなく、私も含めて、この国が国民を守る立場を「残している」
と思いました。
そればかりか、忘れかけていた「愛国心」という言葉さえもう一度思い起こしたのです。
これでもし、国側が控訴などということになれば、人気があると言われる小泉内閣の
中身が露呈したとみなされるばかりでなく、不名誉このうえない失態となるという
ことをお伝えしたかったのです。
元ハンセン氏病患者さんのおもいをご理解いただいて、早期に控訴を断念くださるよう
に心から願ってやみません。

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gratias@m08.alpha-net.ne.jp
報道に心を動かされた一市民
吉井春人
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控訴断念ということ
 

 国が、ハンセン氏病患者及び元患者の訴えを認め、国の誤りを認めた先の地方裁判所の判決を受け、控訴しない方針を固めたと報じられた。
 本当に良かったと心から思い、同時に私の信じる創造主に感謝をささげた。
 ただ、これまでの状態があまりにひどかったのであって、これからやっと本当の「日常」が始まると患者及び、元患者の方々は太地を踏みしめておられるのではなかろうか。その意味で言えば判決の内容はあたりまえのことを確認したに過ぎないともいえる。それだけに、差別や偏見を植え付けてきた側の責任は重い。
 官僚たちに、「控訴」への執念があったと報じられて、官僚たちの「理不尽さ」を嘆かれるだろうか。官僚たちの抵抗を押さえた小泉さん支持層は、(その結果が凶と出るか吉とでるのかはどうであれ)、厚みを増すに違いない。官僚の抵抗が、何故なのかということを考えてみたい。
 彼らは、患者の心が分からない血も涙もない鬼畜のような人々なのだろうか。私はそうではあるまいと思う。ただ、「忠実」なのだろうと思う。何に対してか?国のこれまでの施策に対してか?それもそうだろう。けれども、肝心なことが落とされていないだろうか。国の施策とは、つまり、戦前から一環として流れている「天皇の意志」ではなかったのかと思う。つまり、天皇制のなかで、患者たちは、天皇から憐れまれ、慈悲を受けなければならないという意味においてだけ、この国で存在を許されてきたのではなかったか。天皇は慈悲深い「神」として、憐れみ豊かな「象徴」として崇められてきたのである。
 天皇制が「象徴」であっても、その体質は戦前戦中の体質を変えてこなかったのではなかったのか。
 その点が見落とされてはならないと思う。
 この国の差別の構造を産み出してきた制度は、象徴天皇制として、旧態依然のまま温存されてきた。
 天皇のために命をささげたと思われた戦死者が合祀され、神とされる靖国神社を「公式参拝する」と首相は公言している。しかも、国のために命をささげた人々への尊敬を旨としてである。戦死者は、天皇の名のもとに忠実にたたかい、天皇が参拝してくれるような「靖国の祭神」となることを名誉として死んだ。
 天皇のために戦死することへの敬意と、ハンセン氏病患者への差別と偏見の構造の否定はあきらかに矛盾している。この国の憲法は、人権と国民主権を明確にしながら、同時に、そのこととまっこうから対立する天皇制システムを受け容れている。
「人権侵害」が、天皇家にも及んでいることは、当然言うまでもない。
 お堀の内側に住む方々にも、虚構ではなく多くの国民がもっているような普通の幸せのリアリティを実感していただいてもいいのではないか。
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