茶話会の時間2


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冷たい水

 夏らしいテーマであるが、お伝えしたかったのは、「翻訳」のテーマの続きである。クリスチャンペンクラブの池田隼人先生によると、教養みせつけみたいな文章は悪文ということだが、そのような意図はない。
 ただ、純粋に、いくつかの翻訳上の問題の中の一つを考えてみたいだけである。
 新約聖書マタイ福音書10:42において、
 「わたしの弟子だというので、この小さい者たちのひとりに、水一杯でも飲ませるなら、まことに、あなたがたに告げます。その人は決して報いに漏れることはありません。」とある。
 主イエスは、弟子たちを前に語られた。まだ未熟者だった弟子たちを、お励ましになるという脈略であり、これから世に出ていく弟子たちがどんな扱いをされるのかわからないが、もし仮に、弟子たちに対して、キリストの弟子であるからという理由で水の一杯を与えるような者があれば、天の父は主の名において、そのような行為をしたものに、良い報いを与えられるという意味である。
 実は、この「水の一杯」とある原文は、「poterion phsikyuros」つまり、冷たい一杯の水とも訳される。原文にある「冷たい=phsikyuros」が新改訳聖書では、訳出されなかったのはなぜだろうか。(ちなみに、共同訳では、「冷たい水一杯でも」とあり、水は生温くはないようだ。新改訳聖書以外の英語訳のすべて(もちろん全部見たわけではないが)は、私がみた範囲では「冷たい」を訳出している。
 それは、水は冷たいほうがいい。
 飲み物だって、何だって今の時期は特に、冷たく冷やしたCMのほうがいいに決まっているから。
 特に夏なんかは、冷たく冷やした飲み物、いや、それが冷たいか冷たくないかより、一杯の水が、何とありがたいだろう。
 中近東の水事情からすると、水は日本の数倍の価値があったことだろう。ただ、あくまで推測しかできないが、翻訳者の解釈が読みとれる、つまり、第一には、水が冷たいか温いかが報いの条件なのではなく、冷たかろうが生温かろうが、主の弟子であるという理由であることが大切なのだということや、平行記事のマルコ福音書:41では、「冷たい」という言葉は見られないのであって、その整合性のためにも、あえて「冷たい」という言葉を訳出しなくてもいいと考えたのかもしれない。第二には、とりわけ水の豊かな日本では、中近東に比べて水はふんだんにあり、こだわる必要はないというものだったかもしれない。
 冷たいかどうかは、本質的なことではないという判断が、聖書翻訳家の判断にうかがわれる。いや、あるいは、翻訳家の環境では、水が冷たいのはあたりまえで、特段のこだわりというものは、必要なかったのかもしれない。
 ただ、マタイが記した時、中近東世界でも、冷蔵庫はなかったのは当然としても、弟子に対して、そこらにあった生温い水ではなく、日陰に置くなどしてあえて温度を下げておくなどした冷たい水を「主の弟子である」という理由から、つまり特別の水として差し出す心意気、つまり主に対して最上のものを捧げるという信仰の態度が表現されているのだとしたら、やはりマタイの福音書で「冷たい」が訳しとばされたのは、惜しい。
 小さな言葉一つにさえ、著者の意図を読みとる繊細さが翻訳家には求められている。それと同時に、翻訳や報道一つで、原文もしくはオリジナルなものの味わいが生かされもし、また生かされない場合もあるということだ。
 ホームスクーリング情報が、日本に流される時、キリスト教的な背景、とりわけ保守的な聖書主義が背景にある。アメリカのホームスクーリング運動の、それが原点であり、いまや80〜90パーセントのホームスクーリングがそのようなクリスチャンムーブメントである。実態を正確に表現するとすれば、それが事実なのだから、学校教育にかわる新しい提案として無色透明なものであるかのような紹介をされるのは、不本意なことで、明確なキリスト教復興運動と位置づけてもいい。
 ところが、イラクと戦争する米国という脈略で、いわゆるネオコンサバティブの精神的支柱として、ホームスクーリング運動を紹介し、その「原理主義的な一面」としてあるホームスクーラーが紹介されることがあった。ホームスクーリング運動が、米国では今や政府にさえ影響を与えていることは確かだ。それに、ブッシュ大統領を精神面で支えているホームスクーラーも数多い。しかし、
まだ、ホームスクーリングが市民権を得ているとはいえない日本でこのような報道に直面すると、ホームスクーリングの背景には聖書主義があるという面が報道されたのは正確なのだが、ホームスクーリング運動がいわゆる政治勢力を意味する「ネオコン」(日本で、特異に報道される政治的右派勢力)を生み出す母体のようにみなされるのは、正確な情報とはいいがたい。
 ホームスクーリング運動は、やがて、オウムのように政治目標をもった圧力団体になるのだろうか。自衛隊員の中に、ホームスクーラーが今後増加するのだろうか。日本でも、クリスチャンホームスクーラーは、みな現行の国家権力の維持を政治課題とする立場をとっているのだろうか。(正直言うと、私は、個人的には小泉政権の政治行動に対してきわめて批判的だ。でも、ホームスクーラーすべてがそうだとは思わないし。その必要もない。ただ、国民教育会議の内容に賛成するホームスクーラーは、いないと思う。賛成しているなら、ホームスクーリングの必要性なんか浮かんでこないと思うから。)
 これらの歓迎できない偏見は、米国のホームスクーリング運動がどのように紹介されるかにかかってしまうだろう。
 私は、ホームスクーリング運動は、「ルターとホームスクーラー」といえるほどの、明確な宗教改革運動であり、聖書復興運動なのだと思う。それ以外の、政治的バイアスがかかって、誤解されるような報道や翻訳は歓迎できない。 
 
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「翻訳者は、侵略者である」

この夏、私は群馬県桐生の地。きのこ会館ホテルにいた。
長老教会夏期修養会に、教育委員として参加するためである。
そこで、ある長老さんとしばらく、中身のある懇談に導かれ、いろいろなことを語り、そして教えていただいた。
食事の時に、S長老からうかがった小話がおもしろかったので書き留めておきたいと思った。
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 いわゆる幕藩体制末期、幕府から特使として米国を訪問中の「サムライたち」がいた。
 当然、袴(はかま)帯刀それにちょんまげ姿。そのいで立ちは、武士階級の正装であったことは言を待たない。
 だが、歓迎の路上でその姿を見た米国人は、日の出る国ジャパンからやってきたサムライたちのあまりにこっけいな外見にたいして道化師を見るような眼を差しをむけたのであった。見物しているうち、誰かが、手のひらを広げ、手を広げたまま耳の横につけて、ひらひらと上下に動かす仕草を始め、ほどなくして、数人がそれを見てまねしはじめた。おまけに、ある者はそれに加えてなんと「舌」さえ出すようになった。
 これは米国文化においては、軽蔑を示すボディランゲージだったのである。
 ところが、その様子を見ていた幸せな気分に浸っていた「おサムライさん」ご一行は、なんのことだか意味がわからず、通訳(当時通詞=「つうじ」といったが)に「あのしぐさは、ナンのことでござるか」と尋ねたのだという。
 通詞は当然、非常に困った。
 そのまま正直に意味を伝えると、「無礼千万(ぶれいせんばん)」などと刀など抜かれ、斬りつけかねないし。かと言って…。
 そこで機転をきかせた通詞は、「あの仕草は、米国にては、大歓迎をあらわすのでございまする」と、まァ、「嘘も方便」と自分に言い聞かせ、一時を凌いだわけだ。

 ところが、である。
 これで話しが収まったらいいのだが、サムライ衆は、これを通詞から「これが異国、とても奇異なるも、米国流の歓迎挨拶」と言われたまま、ついにそう信じ込んでしまったのである。
 ついに、その夕べの晩餐会で、あの事件はおこった。
 
 日本側も米国側も全員が正装し、瀟洒なごちそうが晩餐の席を飾り、いざワインで祝杯をという段になった時である。
 サムライ衆は、もっていたグラスをテーブルに置くやいなや、打ち合わせ通りに、国賓に向かい、手を広げて頭の横につけ、一斉に上下に振ったのである。「おぬし、舌を出すのじゃ。舌を。忘れてはいかん。」というヒソヒソ話まできこえ、皆舌まで出した。
 もちろんこれを見た国賓一同は、外国人に軽蔑されたと思って大いに怒ったのは言うまでもない。
 それで、そのことを通詞に伝えたのだ。
 通詞は機転をきかせ、嘘も方便と、とっさに次のように言った、
  「紳士淑女のみなさま。ぜ、是非誤解なさいませんように、あの仕草は、確かに奇異なるものですが、東洋の国ジャパンにおいては、特別の大歓迎を示す仕草なのでございます。」

 そんなわけで、前代未聞の新式挨拶が、両国で一日のうちに成立してしまったのである。

通訳(もちろん翻訳も)は革命をおこすとわれている。
えらく責任が重いな。
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相当腐ってきたね

  ホームスクーリングに関係がない。けれども、変化のための一理塚として深くかわっているかもしれない。

 社民党の辻元元議員が逮捕されたと報じられている。
 政治の腐敗は、一見合法的とも見える方法で、ついに政敵を葬り去ろうとする段階にまできているということだろう。
 同じ趣旨で、逮捕され、有罪として収監され、現在刑に服している元民主党のY議員の方にも、辻本さんに「不正」と呼ばれるものがあったのかもしれない。しかし、流用のどうのこうのということを犯罪に仕立てないためには、要するにマニュアルがあって、紙切れ一枚の報告の必要性を知っているかいないかに修練されるだろう。
 だから、今般の逮捕劇さえ、政権与党のしかけた「罠」だったと見えてしかたがない。
 辻元さんの支援者でも、ましてやファンでも、社会主義者でもない。
 きわめて、強い違和感があるだけだ。
 たとえば辻元さんが政治力学の中で、ある政党が常套手段としているように、いわば政治戦略のなかでの「箕隠れ」として、現在の与党に普段から媚びるような発言や行動をくりかえしていたとしたら、実名はあげないが、不問に付されてきた例はいくらでもあったのではないか。
 いや今でも、“問題発言”など氷山の一角で、相当な不正があった。
 責任ある立場に要求される厳正さや公正さは当然だ。けれども、今の政権が使っている「公正さの基準」は本当の公正さとは別物だ。いや、相当いい加減なものだと思ったほうがいい。今の政権の「基準」は、あるの発言や立場が現政権に対して批判的か好意的かによって、いかようにでも変幻自在だ。だから、この国の政治力学の現在は、むしろ一党独裁の北朝鮮に近い。腐敗もここまできたと思うほうがいい。やがて、腐りきって、地に落ちたら、新しい種が実を結ぶ可能性くらいはあるだろう。

 この国が本当に民主主義の国なのか疑ったことがある。それは、学校やホームスクーリングがらみの行政の対応においてである。もともと、戦後体制が確立したときから、腐敗の体質がみえていた。誰が北朝鮮を笑うことができるだろうか。もっと悪いのはいっぱいうじゃうじゃしているのに〜。なんでこんな重箱の隅つつっくようなことで、警察だマスコミだと喧しくならなければならないんかね。
 たとえば、怖いのは、現在政権の中枢にいるたとえば「TY氏」周辺に伝えられているハチャメチャな性癖による行動。(事実であることは疑いない。雑誌社を相手に名誉毀損の訴訟までおこしたのに、不倫相手が記者会見までしちゃったからね。)ずっと前から、女性関係をその地位や名声に伴う「勲章」のようにみなす風潮が復興しているんだな。これが一番こわい。トップが腐っているからね。不倫や援助交際が収束するわけがない。いやだね。この風潮は。それは戦前・そして戦中の日本には存在した。妾の一人や二人はあたりまえ、「賢人“色”を好む」とかいってね。このままいって、みんな結局ひどいめにあって、ソドムみたいに一回全部腐って完全にダメになっちゃったほうがいいのかもしれないけどね。ただ、巻き添えはいやだなぁ。巻き添えは。巻き添えにはしないと聖書に書かれているけれど、悪いものの影響を受けないようにしなければ。知る人は知る、あの義人ロトは、義人といわれてソドムから逃れられたけれど、妻を亡くし、さらには近親相姦までいっちゃったんだから。
 あ、もちろんこれはホームスクーリングとは関係がない。けれども堅牢に見える今の政権は、相当腐ってきて、今や臭気(問題発言)がばらまかれている段階に入ったということから、ホームスクーリングとは関係ないが、ホームスクーラーを取り巻く状況変化を読みとるヒントくらいにはしたいと思った。
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「いい加減」について
 
 もし、お風呂なら日本語でも「いい加減」が悪い意味では使われない。つまり、「熱すぎず温すぎず」快適な温度ということになるだろう。ところがクリスチャンで聖書に馴染んだ方ならすぐに黙示録の次の言葉が思い出されるはずである。

「わたしは、あなたの行ないを知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。このように、あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしの口からあなたを吐き出そう。(黙示録4:15〜16)
 ラオデキアの教会は、「お風呂のぬるま湯」につかったような信仰にあまじんて、本来の「塩気」を失っていたために、お叱りの言葉を頂戴しなければならなかったのだ。ゆえに、信仰的な妥協や堕落も、現象面からすると「いい加減」という誹りを招きかねないのだ。いい加減な信仰が、十戒を軽んじたり、逆に十戒を金科玉条のようにあぶり出すような「みせかけの敬虔さ」を生み出すのだというのはわかる。(J I PACHER HOT TUB RELIGION  という非常に優れた本がある。「お風呂につかったような生温い信仰」を話題にしている。なお、J・I・パッカー先生の本は、邦訳「神について」が有名。参考まで。)
 けれども、もとに返るが、私はここで悪玉扱いされている「いい加減」の意味をもう一度再認識してみたいと思ったのである。
 つまり「加減を知る」ということが智恵ではなくなっていて、あまりいい言葉ではないが、“つぶしがきく”ような器用さとか知識の多さ(引き出しの多さとも言われる)が智恵のようにみなされる傾向に埋め尽くされているように思うからである。
 節度を守ることは、度を超えることに対していい意味なのだとしたら、「加減」がわかるというのは智恵中の智恵なのではないかと最近思う。モーレツに対して「いい加減」があってもいいのだと思う。モーレツだって悪くはない、私だって時にはモーレツになることもある、期限(納期)が迫っているなんていうときは、いやでもモーレツでいいということだってあるだろう。その一方で、「加減」がわからずに、過労死してしまうということさえある。(ちなみに、「カロウシ」は「フトウコウ」と同じように米英語に翻訳不可能な言葉である。つまり、働き過ぎて死ぬなどという概念は、欧米にはない。いや子どもが学校に行かないだけのことを精神病理さえ持ち出して異常視する気風もまた、国際社会ではもはや通用しない概念だ。)
 しかし、それがゆえに「いい加減」は軽蔑され、いや場合によっては怠けや、職務怠慢や遺棄などと同意語扱いされてきたのだ。
 それにたいして、「加減」ということの重要さを現代人はもっと学ばなければならないのではないかと思っている。
 ただし、これももののいいようだが、責任転嫁を主要な体質とする場で、これがつかわれると責任転嫁を是認しているかのようになるので、言葉の難しさを感じる。クリスチャンなら、「いい加減」を名目にして、主の十字架を負わないのは、それは罪であると認識しなければならない。クリスチャン用語を使ったが、「いい加減」が自己保持とか他人の痛みへの冷酷さを根にして使われるということがあるからである。
 黙示録も引用したが、この箇所はクリスチャンが「いい加減さを嫌う」傾向にあることの、一つの根拠となるだろう。これを「プロテスタントの勤勉さ」とみるか「メゾジスト(几帳面さ)」の源泉とみるかは判断に委ねられるだろう。(そのようなものがあるかどうかとは別に、クリスチャンにたいする一般的な評価であるとも、いや、スローライフ派からは、そのゆえに揶揄されたとしてもおかしくないほど、勤勉さの模範になってきたといえる。)
 けれども、いわゆるパリサイ人のような形式重視の気質が入り込みやすい体質でもあるといえる。さらには、この傾向を身につけることだけをクリスチャンの成熟だと勘違いしてしまうのはいががなものか。
 「いい加減は罪だ」というかけ声のもとに、今社会の求められている重要な「フィレキシビリティー」も排除して、ひたすら規格化・マニュアル化・そして法則化を「成熟した結果だ」と思いこんでしまうのである。これははたして聖書的といえるのか。
 あの「良きサマリヤ人」を見よ。彼は、強盗に襲われた人を、他のパリサイ人のように見て見ぬふりができなかったので、民族対立の歴史や、自分の計画などを後回しにし、はてはけが人を宿にあずけて「費用の請求は私に」とまで言ったではないか。それゆえに、現代キリスト教会と聖書のキリストとの落差は、はなはだ大きい。
 
 世の人々が、すでにアドリブ的な(つまり、その場その場に最も適正な判断と、ジョブの目標設定できる企画力)を評価しはじめているのに、教会が欧米化された教会のスタイルをそのままで、少しも現代のニーズに開かれようとしないと見えているのだ。いや、世間からすると、敷居が高いのは、教えが高尚なだけではなく、根本に、すべての点で聖書に聞こうとしないで、19世紀に流行した批評学とか、礼典学を見直そうとしていないからだと思う。もちろん、見直すことだけが全てではない、伝統を守ることも聖書的だからである。規則があることさえ、「教会の秩序」という意味では必要だ。だが、それと同時に、福音よりも規律(プチ律法)を重視する傾向が「あそこに規則、ここに規則」として生まれてくる。しかも、「それが教会のいい加減でないところだ」などと納得してしまう勘違いが、これはこれで、また困りものだ。
 教会が規則をもつことが悪いのではなく、それが本質をゆがめるほどの効力(しばり)を発揮しはじめているのに、規則に反していることは聖書に反することのような本末転倒がおこなわれていることが悪いのである。
 中国地下教会には、会堂はおろか、聖書そのものさえない。しかし、そこにあるのは、初代教会の信仰のそれなのだと思う。
 その意味では、「いい加減」でいいものは多い。「大切なものは多くはない。いや一つだけです」とキリストはマルタにおっしゃったではないか。
 現状や、諸問題に適応して、変えていけばいいのだ。そのような本来の意味における「いい加減さ」を理解できない教条主義・形式主義的な教会は、古くって新しい律法主義のゾンビに占領されているのであり、すでにキリストを失っているのだと思ったほうがいい。
 私は言葉をもてあそんでいるのではなく、宗教改革者カルビンが「教会は、聖書に従って、改革され(reformed)続けなければならない」と述べていたことを、まじめに考えようとしているからである。
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天草のそうめん
  
 夏が近づいたので、涼しいさを誘う「そうめん」の話題にふれたかったということも全くなかったわけではない。
 しかし、それほど単純なはなしでもない。九州雲仙の地を郷里とする友人がいて、里帰り際に訪問した場所「原城」の土産話で、日本史実の一幕に触れたからである。天草四郎最後の地となった「原城」は現存する。当時幕府が根絶させるべく天草四郎を主要な人物とみた天草・島原の乱は、原城陥落、つまり1637年幕府軍の総攻撃による皆殺し作戦によって表面的には終結した。
 ただし、これはあくまで幕府側からみた史実であって、出来事の発端は、1517年にルターから始まって、野火が広がるように欧州を駆け抜けた宗教改革のうねりにさかのぼる。
 当然のことながら、ローマカトリック教会のプロテスタントに対する立場は、はなもちならないものだっただろう。いや、「第一バチカン公会議」の宣言文などをみると、はらわたが煮えくりかえるような思いだったに違いない。当然、旧教&新教の争いが血で血を洗う凄惨な戦争にまで発展したことは史実に語るところであり、たとえばカナダ建国のルーツには、カトリックからの迫害を逃れて新天新地をもとめたユグノー(カルビニスト)の姿がみえる。ところが、ただ対抗意識を煮えくりかえらせていたのではなく、プロテスタントが教理論争にあけくれている間に、カトリック教会は、プロテスタントとのつばぜり合いを世界宣教の場面においてさえも展開したのだ。世に言う「対抗宗教改革」である。
 ただ、たとえば日本へのカトリック伝来の発端となった例のフランシスコザビエルも、たとえ発端はプロテスタントへの対抗的な意識が秘められていたとしても、世界宣教の熱意について、不純なものがあったとは読めない。もしかしたら、そのようなものが最初あったとしても、日本における宣教師たちの働きはりっぱであり、宣教の成果はロマカトリックからすると、きわめて優れていた。大名小西行長の回心だけではない。島原や現代の琵琶湖畔には、セミナリオ(神学校)さえ建設されていたといわれる。
 島原の乱の残虐さや、天草四郎の「妖しさ」のようなものだけがクローズアップされるが、あれだけの迫害がみられた背景には、鉄砲など兵力増強との駆け引きがあったとはいえ、蜜月期間ともいえる時期があった。幕府は最初きわめて友好的であり、それこそ「東洋のエルサレム」はかつての北朝鮮にではなく、ここ日本の地にあったとも思われるほどだったとの前段階があった。ところが、友好関係は一転し、まるで異物をはき捨てるような一掃政策にとって変えられたのである。これはなぜだろうか。おそらく幕藩体制にとって、何らかの不都合が生まれたことによるのだろう。では、その不都合とは何か。それが問題だ。今後の研究課題としておこう。(※幕府側の急激な転身の陰には、オランダから日本との通商関係を有利にすすめることを狙った、今般の迫害を促進させることになるような何らかの強力な示唆があったのではないか。いや、これは全くの仮説に過ぎない…。宣教師シドッチと新井白石の面談記録を思い出しながらそのように思った。)
 幕府は、吉利支丹宗門を「邪宗門」として禁じた後、長崎の出島を唯一入り口として、例外もあったようだが主にオランダとだけは通商関係をむすんでいる。一方で、オランダ人にも例の「踏み絵」をさせていたことはあまり知られていない。実は、踏み絵は島原事件以降もしばらく続けられていて、対象がすべてオランダ人というわけではないし、もちろんすべてのオランダ人が信仰から出ていたかどうかは疑わしい。形式的であったにせよなかったにせよ、吉利支丹宗門とは違い何の抵抗もなく「踏み絵」を踏んだ。それは、1600年にさしかかる頃にはすでに、オランダでは改革派が主流をしめていたために、オランダ人は聖書の原則に従い、むしろ喜んで聖絵を踏んだからである。聖書は創造主のみを礼拝し、それにかたどったような像や絵を礼拝対象とすることを禁じている。その上、カルビニストは(今では、やりすぎだったという認識がある)教会の中からステンドグラスや聖徒像はもちろんのこと、オルガン演奏ばかりか、いや十字架さえ一掃した。それゆえ、たとえば異教徒の日本国で、ただの絵に過ぎないものを見せられて、「これを踏め」といったところで、何の抵抗がなかった。いや、カトリック色の強い“聖画”を踏みつけるなど、彼らが既に本国でやってきたことだったのである。

 たとえば幕藩秩序のためとはいえ、島原でなされたあれほどの虐殺をどんな理由でも正当化すべきではない。島原事件直後、幕府は、島原の地から吉利支丹宗門を一掃したとみるや、無人となった島原の地に、小豆島のほぼすべての住民を強制移民させたのであり、“島原のそうめん”はその時の移住者が小豆島からもっていったものだという。

 ただし、聖書の原則からするなら、少なくとも「踏み絵」を拒否することが、結果として忌むべき偶像礼拝に道をあけるとは教えられなかったことは問題だ。カトリックの教義に基づくのだとしたら、異教を抱き込んだようなシンクレチズムの教義があったのかなかったのか。あったとすれば、教理史上においてどんな出来事との因果関係をもたらすのか。それが重要だ。表面に出てくる行動は実は現象としては末端にすぎない。ある行動を支配する「原理」は、いつも内面の信仰とか信条から生まれる。歴史現象とは、毛細血管の中を動く血液の動きのようなものだ。血液を動かしている大本は心臓であり、それを司る脳であるということにも似ている。教理史に学ぶことは、現代を読み解く鍵になる。
 
  遠藤周作氏が「沈黙」の中で、背教し幕府の手先となったいわゆる元司祭の“転び”に、日本における福音の土着化の困難さを物知り顔で語らせていたのを思い出す。彼が生きていたら、「どうせホームスクーリングなんて、アメリカナイズされた一時期の流行事」などと言ったかもしれない。
 カトリック神学とホームスクーリングは馴染むのか。
 これもこれからの研究課題だと思う。

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軍道のキリスト教

 現在の東京都檜原村軍道付近は、「軍道和紙」の発祥地として名高い。実はこの地にはキリスト者家庭があった。だが、今はそのような痕跡すらない。いやあるにはあるのだが、山村の自宅にたてられた仏式の卒塔婆に不自然に十文字が刻まれていることによって、すぎた昔の出来事を偲ぶばかりである。
 僅かでも日本の憲政史を省みる人は、現在のあきる野市(旧五日市)には、いわゆる明治憲法制定期に、試案としてであれいわゆる「五日市憲法」が存在していたことを知るだろう。詳細は、他に譲るが明治初期の典型的な民衆憲法として有名な五日市憲法草案の存在を世に知らしめたのは色川大吉氏(日本経済大学)のお働きによる。
 たとえば、76条には「子弟ノ教育ニ於テ其学科及教授は自由ナルモノトス、然レドモ子弟小学ノ教育ハ父兄タル者ノ免ル可ラサル責任トス。」とあって、「父兄」とあって「父母」ではないことろに当時の時代的制約はあるものの、教育は国家による画一的な統制によらず、親に本来の教育権が帰属すべきことが明示されているといった優れた内容である。
 五日市憲法の創案者である千葉卓三郎は、お茶の水にその名が残るギリシャ正教会の教職者ニコライによって洗礼をうけたキリスト者であった。ただし、千葉卓三郎と軍道のキリスト者家庭との関係は未調査である。
 だが、旧五日市のある民間の郷土史家が、ニコライが八王子に伝道の裾のをひろげ、実にお茶の水の「ニコライ堂」は八王子にも存在していたことを確認した。軍道の家庭集会は、その八王子ニコライ堂の信徒によるものだった可能性は高い。旧五日市で憲法草案をしたためた卓三郎が、八王子のニコライ集会に出席していただろうことや、軍道の家庭集会に出席していたかもしれないとはあながち想像だけではない。
 ただ、今日そのような家庭の存在はおろか、キリスト教宣教がある程度の成果をみていたことを知る人はわずかな郷土史家以外にはいない。ただし、私がこだわったのは、ニコライによっておこなわれ、一時にせよ檜原村奥地まで広がりをみせた宣教活動が、なぜ今日全く痕跡が残らないほどに途絶えてしまったのかということである。
 ニコライの教職者としていかにすぐれた逸材であったかということは、たとえば 「宣教師ニコライと明治日本」(岩波書店) などいくつかの著作からも伺われよう。 
 かの地に福音が途絶えてしまったのは、日本人が、ギリシヤ正教の教義であるいわゆる聖画「イコン」そのものを限りなく偶像のように崇めてしてしまう精神風土に起因するのかもしれない。しかし、私は、最も大きく決定的だったのは日本人のなかに「人徳信仰」が根深かったからだと思う。
 つまり、すぐれた説教者のもとに人は集まるだろう。その感動を週日の糧として過ごすかもしれないが、いかにすばらしい説教だとしても、それから生み出されるものはキリスト信仰ではなく、実はキリスト教に似てはいても、実は非なるものに入れ替わっていたのではないか。「〜先生がいた教会」「〜先生の教会」という説教者の名前が付せられて呼ばれる教会がはたしてどこまで聖書の示すキリスト信仰なのか疑問だ。いや、そればかりでなく、教職者に栄光が期されて、牧師が引退した後でさえ信徒がその影を慕うような教会というのはまさに「人徳の偶像化」に他ならないのであり、結局は軍道の家庭集会と同じ道筋をたどらせられるのではないか。ただし、私は特定の地域教会のことを思い浮かべているのではない。
 ただ、信仰の継承という課題を思うなかで、小さな歴史に学びたいだけである。

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教える立場で考えると

  
 病気による長期休職ということで、現場から離れている教員の方数名とフリースクールで出会ったことがある。そのとき、私は相談を受けるカウンセラーのような立場として応対したのではなく、先方から思いがけず「息抜き」にフラッと立ち寄ってくださったのである。
 唐突なようだが、彼は酒臭くはなかった。
 私は酒のことはよくわからないが、話し込むについれ、彼がもし酒飲みだったとしたら、きっと良くない酒にはまりこんでいたに違いないと思っていた。
 これといって特別な印象の方ではなかった。かえって、普通よりも、打ち込むタイプで、何事も真剣に子どもと向き合おうとしていた教師のようにおみうけした。一人は中学の体育の元教員であり、別の日に出会った方は音楽担当の元教員。もし、彼らがフリースクールに身をおいていたら、(生活の足しには一切ならないが)もっと子どもと向き合って、精神的には快適な時間を過ごしていたかもしれない。
 ところが、よくいわれていることだが、学校教育現場の現場におかれている教員にはフリースクールのようなのん気なことは許されていないのだ。子どものために熱心であるのは教師として当然としても、しかし限度を越えてはいけないという謂われがあるらしい。
 つまり、一般的には、学習指導要領を遵守しなければならない公務員という立場にありながら、子どもへの教育的配慮に目覚めることからくる板挟み状態が生み出すプレッシャーが必ず存在しているということだ。それで、今般話題にされている「指導力不足」の判断も、現場の教師の側で考えると、「子どもへの過度な思い入れを止めなければ、自分がもたない」ということになるのだろう。だから、心では子どものためにはなっていないと思いながら、やむなく点数化しなければならない。また、自分なりの授業内容を発案してもいわゆる上からの「指導力不足の判定基準」が今後さらに細密になり、理想は“はな”から実現不可能となるだろう。
 ニュースからは「教師への評価基準を厳格に」と伺われるが、実際にはご苦労されながら、教案づくりに腐心しておられる真面目な教員の方々に結果として枷(かせ)などにならなければいいがなァと思う。
 
 そのような困難な職場であるにもかかわらず教員志願者の倍率は下がることはないという。教員志願者が減らないという意味は、おそらく教員がいわゆるエリート職(聖職)と呼ばれるというプライドの部分と、社会的信用や保証が約束されているという安定感からなのだろうと思う。
 ただ、このように表向きの顔とは裏腹にある現場の影から聞こえる「うめき」のような声を直接聞いてしまうと非常にやるせない。だから、「もし、本当に子どもの立場を考えて、働きたければ不安定さと引き替えに、塾やフリースクールで教えたほうがいい」(元教師の言葉)という告白に繋がるのだとおもう。
 一方で、学校現場にあっても、たとえば国語教育で名高い大村はま氏のような、与えられた環境から最大限に「子どものため」を生み出すことができる方はおられるが、なにせ「神業」だ。(はま先生は、私が数年間赴任していた横浜の教会の教会員でいらした)はま先生はクリスチャンなので、“神”扱いされるそのような謂われ方を決して肯(がえん)じないとは思われるが、教室の子どもたちの実状にあわせた、自分なりの指導教案を毎年ごと新しくつくっておられたのだ。しかも、国語教師でいらして、すべて索引は間接引用とかのいわゆる孫引きではなく「原典」に直接あたられていた。それだけとっても「超人」とも「神業」ともいわれてふさわしい。やはりあの方は特別なのだろう。多忙ななかでも、決して手を抜かなかったといわれているのがすごい。いいかえれば、普通の教師はこうはいかない。
 あいもかわらずの「板挟み」の中で、泣いておられる方が多いのだと思う。
 「水俣の海のようだ」という林竹二氏の指摘を待つまでもなく、この国の教育システムはすでに健全に機能しなくなって久しく、教育現場が子ども中心になっていないばかりか、教師が教師としての本領を発揮できなくされているのではないかと疑う。しかも、すでに問題点が見えているのに、結局利権構造が守られるようにしか事態が推移していない「伊勢早湾干拓事業」と本質的にはかわらない。
 だから、不登校の数が減らないどころではなく、学校で自殺する子どもの数がいっこうに減らないのだ。今般の報道でも、200人を下回っている数字が自殺者として報告されていたが、これは遺書が残っているなど「学校を自殺場所に選んだ例が報告されているもの」だけなのだろうから、おそらく、子どもの自殺者の実数は全国では、年間数千人は越えていると思う。
 ま、あれもこれもデーターに基づかない、想像の世界に過ぎない。
 ただ、負け犬の戯れ言(ざれごと)と言われて、一蹴(いっしゅう)されそうだ。
 何というニヒリズム!
 嗚呼(ああ)、腐ってしまうなァ。
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親のエゴ

 

 くにたちのフリースクールのボランティアをして、およそ10年になるので、この訴訟の経緯のことも、(あらたまった時間をとったわけではないのに)原告当事者から詳しく伺うことになっていた。
 原告サイドでは、かなりきびしい判決を予想をしていた。
 それくらい、今まで、この国は本質的に土木事業優先国家であり、住民サイドの意見が反映されることなどはなかった。工場などの建設計画の際に、確か美濃部亮吉さんが知事だった頃、環境アセスメント法なるものが検討されたことがあった。工場建設など大型工事に着手する前に業者は、住民の「住環境」などに配慮しなければならないという主旨だった。議会で法制化が決まったまではいいのだが、法定までのプロセスの機微は実に複雑なもので、官僚主導でできあがってきた「環境アセスメント法案」は、住民の意志が尊重されるためではなく、新法が、むしろ業者に対して「環境への配慮をした」といういわばお墨付きを与える結果となるように換骨奪胎され、アセスメントどころか、住民に対してことあるごとに企業や行政側から示される「徳川の印籠」「これが見えないか!」みたいに通用させるための、「環境アセスメントみたいな法」が示されたのであった。
 それゆえ、この国では、法律ができる母体はともかく、その経緯の中でほとんどが骨抜きにされてきた。法治国家なので、法制化がいつも悪いのではないが、こと環境問題に関して言うと、そのような惨憺たる歴史をいたるところにみてきた。
 その中での「画期的判決」だった。
 つまり、伊勢早湾干拓事業のことを例に引くまでもなく、これまでは、行政が絡むと、おしなべて住民のためではなく、業者に対して公然と環境破壊を許す結果になってきたのである。国立市の場合も、「住民訴訟は、住民のエゴである」という反対論に曝されてきた。
 くにたち市が「文教都市の指定」を受けるようになった経緯には、沖縄の現状と酷似した「立川基地周辺の風紀の問題」という歴史があった。ただし、立川基地はすでになく、現在は昭和記念公園として市民の憩の場となっている。
 だが、立川駅南口にはかつて、いわゆる赤線地帯(つまり売買春公認地帯)だった場所がある。立川に隣接した国立市では、風紀の乱れを危惧する声が高まったのである。つまり、「くにたち」の環境意識は、外観としての住環境を守りたいということから出発したのでなく、子どもたちの道徳的環境を守りたいという意識から出発している。それが、他の日本の地域には希なほど、今般の判決に反映されているように、住民運動が行政をコントロールするほど高い意識の母体になっているということだ。当然、これに対しては、公安警察筋などから睨まれる立場に曝されることとの裏返しでもあるのだ。(意地悪く「他人が出したゴミを、自分の庭に入れたくない親のエゴ。」と揶揄した意見もある。)それゆえ、私が知る限り、13年の当時ホームスクーリングを受け入れてくれるごく普通の民間人がいらしたのは唯一「くにたち界隈」だけだったのはそれなりに謂われのあることなのである。
 だから、住民の側をエゴイスティックと見るのは一定のバイアスがかかった意見なのではないかと私は読んでいる。「子どもを悪い環境から守りたい」ということがエゴなら、ホームスクーリングだって相当なエゴだと言われるのと根は同じだろう。子どもを守ってどこが悪と言われるかもしれない。いや、ホームスクーラーは、行政・教育官僚からはもちろん、そして塾やフリースクール側からも、そう言われてきたことは事実なのだ。
 一方で、一般企業で欧州(ヨーロッパ)のパリとロンドンに数年海外派遣されたエキスパートの方となじみになったことがあり、欧州では、住環境問題に関していかに住民と行政が一体化しているのかを思い知らされたと語っておられた。
 外に洗濯物を干すと、近所から電話がかかってきて、「景観を損なうので、洗濯物は中に入れてください」と言われたとのことだ。パリでのことだったそうな。欧州では、大都会ばかりでなくいわゆる田舎の町並みが、絵になるような美しさを保っているのは、そのような意識が根底にあるからである。それを、日本でもというのは難しい。それは、高温多湿の気候帯だから、たとえば洗濯物だって外で乾かす以外にあろうかという意見もある。いや、事は内面的には意識の問題、それに法制化システムに政官癒着問題が寄生虫のように張り付いていることにあるのかもしれない。
 これから高裁や最高裁まで行くことになるんだろうか。変質しなければいいけどね。

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「子どもがまねしたらどうする」
 
 
 庶民の話題である野球。
 それゆえ庶民そのものである私は、子どもたちと野球のことを話題にすることがよくある。
 「ペタちゃん(ペタジーニ)が巨人にいっちゃうんだってね」
 「エー。なんか、笑っちゃうよね。いいじゃん。巨人らしくて。」
 「ん。ノリさん(中村さん)はどうなった」という程度。渡辺には多分背後に、松井さんのメジャー行きが決まったので、とにかく強力打線を補強したいのだが、中村さんの意志がどうにも動きそうにないので困ったという、ま、悔しさみたいなものが滲み出ている発言とでもしておこう。よく言えばね。
 ただ、我が家の子どもたちには、「何でも金の力でなんとかなるなんて“巨人野球みたいな”ことを考えちゃいけない」と教えている。こんな悪態をついて、巨人ファンには申し訳ないが、優秀な選手をお金にものをいわせて買い集めて、優勝したとしても、そこには、子どもたちに夢や希望を与えるよりも、「何でも結局は、金と力」ということを教えていることになるとわかったので、もの心ついたあたりからできるだけ巨人軍野球のコンテキストは説明するようにした。
 「強ければいい、それがすべてだ。強くなるためには汚いだのアンフェアーだのいうことを言わせておいてはならない。子どもには、権力を手に入れることだけを目差させること、そして結局は金がすべてだということを教える。」そんなことを考えている巨人ファンはいないと思うけれどね。でも、もし何の説明も受けなくて子どもがテレビの情報だけを鵜呑みにしているなら、そのように教育しているのと変わらない。そのような価値観を信じる人を排除する気はないけれど、今の巨人野球のいきかたは、世界標準に反するとまでは言わないが、少なくともキリスト教の価値観に反するとは思っている。
 このような巨人型野球から日夜生み出される教育的効果の前には、中村さんの金髪などものの数ではない。いや、人を評価するのに髪型などを持ち出すというその感覚さえ、「子どもには教えたくない」。それは、外見も大切かもしれないが、人の評価がいかにも上っ面ではないか。金髪は別としても、巨大企業である読売巨人軍に最後まで媚びなかった中村さんは、子どもに見習わせるべきところがあるのかもしれない。
 今や、ただ権力に媚びること、そして上目遣いの上手下手だけが評価される「のし上がりの時代」は終わった。
 しかし、古い価値観を信じて疑わない旧態依然とした体質。その典型ともいえるものが、巨人首脳陣サイドに見えるような気がしてこの話題に触れてみた。

 一度、次男をどこかのナイターについれていきたかったので、「どこに行きたい」と聴いたら、「東京ドームの巨人戦」だと…。メディアの影響力は、私が考えるより大きいかもしれない。
 「見たい選手は?」、
 「清原さんに松井さん」!!
 松井さんはもうメジャーにいくからね。
 けれど、清さん(清原さん)のホームランを見たら、巨人ファンになるかも。
 お清さんのホームランはいい。あれは今のうちに見る価値があるかもね。
 振り方ひとつで、軽く打っているように見えるのに、どうしてあんなにも美しく飛ぶのかとか…。原理はわかる。お清さんは、投手が投げた球の下の部分を瞬時に判断してねらいうちする。しかも、一旦バットの上に乗せて引き寄せた後に、ドライブをかけて振り切る。(だから一瞬止まってみえる)その芸術業ともいえるピンポイント打法によって内側に激しく回転した打球は、前進方向と浮力のベクトル内部に小さな空気の渦をつくる。つまり、打球は渦に巻き上げられるようにして飛ぶので、さらに飛距離が伸びることになるのだ。
 でも、私も息子たちも巨人ファンにはならないだろうな。

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羽仁未央さん講演会
2003年1月25日。
すでに恒例ともなっている遊々舎主催の講演会は、メディアプロディユーサーの羽仁未央(はにみお)さんをお迎し、およそ80名の参加を得て盛況でした。
 私事にわたりますが、10数年前ホームスクーリングをはじめた頃、周囲に映画監督の羽仁進さんの娘さんが、事実上のホームスクーリングで育っているとおっしゃる方がおられましたので、未央さんがこの度講師となられることで、念願かなって話題の信憑性を確かめることになりました。学齢になって、小学校には入学したものの、無意味に思えたことから、自ら「学校をやめたい」と父君に申し出たというのも当時としては画期的でしょうけれど、その申し出を受け入れて、子どもを学校以外の場でそだてることを決意した親御さんもまた画期的でした。それでも、ホームスクーリングという言葉さえない時代に学校教育そものの意味を考察し、学校のしがらみから脱却しておられた見識の高さを思わずにはいられません。
戦時下反戦運動で獄中におられた羽仁五郎氏を祖父とする家系に育ったといえば、反体制を貫く勇敢さと厳しさを継承しておられるといえなくもないでしょうけれど、未央さんのお話からは、力みなどは微塵も感じられず、現在仕事を巡る飾らない感想を淡々と、時にはユーモアを交えて語られるなど、かえって特別な人であるとの印象は全く受けず、海外を拠点に、国際社会を縦横無尽に活躍されているメディアプロディユーサー会社社長さんの語り口そのものでした。
 「羽仁さんは、天才だからホームスクーリングができた。けれども凡人のおまえは凡人らしく、子どもを学校に入れるべきだ」といわれたこともありました。それを受けて、むしろ凡人の私がホームスクーリングできることに意味があると斜に構えた時期もあります。さらには、「学校に行かないことで、子どもにとってメリットがある」と言い続けて袋だたきのような攻撃をうけた時代があったことを思い返すのです。
確かに過激な響きがあるその言葉のとげのあるトーンを落とすために、「学校に行くことも、そして行かないこともいい」といわ ゆるオルタナティブな選択枝の一部としてホームスクーリングを受け入れていただくようにと、やや控えめに(誤解されないように)言ってきました。
 けれども、りっぱに成人され、そればかりでなく第一線でご活躍されている未央さんのお話を伺うにつけ、子どもによって個性が違うのかもしれないとか、ホームスクーリングを絶対化しているような誤解を与えるかもしれないと承知の上で、いや、そんなことを言うのは日本では10年早いのかもしれないとしつつも、それでも「今の学校に行くよりは、全く行かないほうが、子どもにとっては格段に良い」とはばからずにいいたい気持ちになりました。(「ひなたぼっこ通信」掲載予定)
→少しだけですが、遊々舎ホームページに写真が掲載されています。
 

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