Haru-san(^_^)/~の迷走録

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 #「国家認定」という罠
 #森有礼が描いた教育像
 #「日本国憲法」のすすめ
 #内村鑑三の無教会主義
 #リーダーシップのこと
 #「殉教礼賛」批判
 #「現代人」ということ
 
 

「現代人」ということ
 
 これからお話することは、やや抽象的で、多分おもしろくないはなしでしょうね。
 でも、それをご了解くださる方は最後までおつきあいください。
 今がどんな時代で、そこに暮らす自分についてもっと理解したいと思いました。それは素朴な問いです。学生時代には、たとえば「現代人とは何か」という抽象的なことを考えていました。江戸時代に生まれていたら、当然キリスト教とは出会わなかったし、士農工商の身分制度のなかで、どこに生まれるかでその人の人生が決まったはずでした。しかし、現代人は、「日本国憲法」というルールのもとで、主権在民、基本的人権、思想・信条の自由の中に、原則として生きることになるので、江戸時代のような決定論を引き受ける必要などはないと学んでいます。
 そうすると、では「日本国憲法」とはどんなルールなのか、それ以前はどうであったかという“問題提起の連鎖”がおこることになり、(その問題提起を法学と呼ぶか呼ばないかは別として)学びの基礎が生まれるでしょう。自動車学校では、交通法規を学ばせられるとしても、すべての法規は本来「主権在民」という視点からつくられているとふまえた学びをすすめていけるのであり、「なぜ、歩行者の安全に気を使わなければならないか」とすれば、それはこの国のもっとも基本的なルールがそうなっているのだとされるのです。この国の主権者は、国民なのであり、その国民が使うべき道路を、自動車に乗るものは使わせていただいているのだということになるからです。以前は、天皇がすべての主権者であり、日本国民の自由も、天皇の「ご寛容」のもとに貸与されているのだという考え方がありました。原理からいうと、道路さえ基本的に天皇のものでした。ただ、天皇の慈悲深さのゆえに、国民の使用が妨げられていなかったに過ぎなかったのであり、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉ジ=なにか国家の側で戦争など緊急の出来事があり、都合がわるくなったら、国民はいつでも自分をすてて、天皇のためにつくさなければならない」(教育勅語)とされていました。
  「現代人」の理解のために、さらに根源的には、「個人とは何か」という問いに結びつきます。たとえば、結婚は古い結婚制度には、結婚は家ごとにおこなわれるとの認識がありました。しかし、憲法が「両性の合意による」という場合に、そこに個人主義という考え方があることに気が付きます。いえ、聖書といういう視点からいえば、現代人が考えるような個人的な事柄というよりも、むしろ「家」を単位とした視野がひらかれているのだといえます。
 ピューリタン研究を課題とする方々からすると大づかみに過ぎるかもしれませんが、大木英夫さんの『ピューリタン』(1968 中公新書)という本が、「現代人とは何か」という問題提起からすると読みやすい入門書といえるでしょう。
 近代に至るまでのヨーロッパ社会には、「コルプス・クリスチアヌム=キリスト教的社会有機体」という全体像が支配していました。その一方で、宗教改革を母体として生まれたピューリタン信仰の特質は、それこそ多様な面があることをふまえつつ、「国家と教会の分離」という重要な原則が生み出される基礎ともなりました。江戸時代には、身分制度との関連性のなかでしか個人を扱われませんでした。それとは厳密には違うとはいえ、中世ヨーロッパ社会ではカトリック教会つまり当時には、「国家と教会が渾然一体となった全体」との関連でしか個人を認識できなかったともいえます。
 現代人として生まれるとは、共産国家やイスラム国家で生まれたのとは違い、全体とのかかわりではなく、個人として“投げ出された”状態におかれるわけで、いったん個として“放り出された”段階から、今度は聖書を規範にして、たとえばピューリタンならば神との内面的な関係を再構築すべきなのでした。もし、聖書という基準をもたなければ、現代人に残された道は、すべては「個立化」をたどることになるので、何かにすがりつかずにおれないことになります。アメリカ大陸に新天新地をもとめたピューリタンたちにとって、「個人」は聖書を基準にして、今度はカトリックではない「聖書的な教会観」を取り戻すということになりました。
 士農工商の身分制度の精神がどこかに残っていて、その考え方を引きずっているかもしれませんが、原則としては廃止されているので、そう感じる人はあまり多くはないでしょう。しかし、特に戦後の米国の「政教分離原則」を引き継いだ日本人クリスチャンは、クリスチャンにとって“この世(国家)と教会”という課題として残されています。いや、この世のことは、信仰とは関係のない次元で、しかも終末の時代、世はいつか滅びるのだから、まともに相手にしているひまはない、教会や家庭も、この世のことは「とりあえず不問に付すことで、ひたすら宣教と伝道にいそしんだらいいのだということになりますが。でも、そのままだと、必ず信仰のダブル・スタンダードに陥るでしょうね。一貫性のなくなった信仰には、もはや「塩気」はありません。塩気をなくした塩は、もう何の役にも立たないので、あとは廃棄されるだけです。(誤解のないようにあえてつけくわえますが、私は「政教分離の原則」の制度を、神からの賜物として受け入れているという立場です。)
 この世のことは、神様と関係のないことではなく、主が支配し、その事象について、主は喜び、そして悲しんでおられるのだといえます。そして、政治活動に参加するしないではなく、今の政治の状況を信仰の視野から憂い、そして祈る必要があります。選挙カーは、いつもやかましくて困りますが(今度市議選なので、いつも大音声が家の中に飛び込んでくる)、政治および政治家のためにも祈るべきだとつくづく思います。
 話はあちこち飛びますがお許しくださいね。
 クリスチャンがものごとを考えていくときにも、現代化された人間がもつ「個人主義」の影響が入り込みます。でも、聖書の基準に従おうとするなら、信仰とは個人のものではなく、それは家族のものです。そして、教会とは、古い時代の残存でも、ただの家族へのサポートシステムなのでもなく、地上でキリストの業が与えられた目的として、クリスチャンの共同体としての教会を、キリストの体として、「花嫁」として迎えるためであるとされます。
 いやはや、やはり、はなしがとりとめもなくなりましたね。

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「殉教礼賛」批判

 某出版社より新刊の「殉教」を読ませていただきました。結論からいうと、もしこの本だけで「殉教」の全体像が教えられるとしたら信徒訓練の上で問題であり、方法論としてだけでも、聖書解釈や聖書の読み方について、はなはだ間違った手引きになるかもしれないといえます。私の立場は、たとえば韓国の殉教者チュ・ギッチョル牧師を心から尊敬している立場ですから、殉教否定論者ではありません。しかし、アンダーソンン&ダン氏の書いた「殉教」には、一環して「殉教礼賛」の傾向が強く打ち出され、その結論を論拠づけるための聖書引用が多く、バイアスがかかっているというレベルを越えて、あきらかに聖書本文を無視した誘導といえるでしょう。
 すでに、ブログの中でも紹介しましたが、「殉教の神学」は、プロテスタント教会より、カトリック教会でさかんに提唱されてきました。初代教会の時代から殉教者は数知れず、ローマに殺された人々があまりに多かったので、「殉教者の血は、教会の種子だ」と語った教父もあるほどです。しかし、カトリック教会には、どのような死に方をするかが、死後の取り扱いの善し悪しに関係している」という異端的な神学が生まれます。新プラトン主義が入り込むと、ヒエラルキー(階層)という考え方が生み出され、非聖書的な教職制度を発展させていきました。しかし、それは現世に留まらず死後のステータスの区別にまで及んだのでした。
 それは、イスラム教のなかで、自爆テロなどをひきおこすテロリストたちの“聖戦・特攻隊員”たちが、自爆テロによって相手に与える死者の数が多ければ多いだけたくさんの報いを天国で受けることができると教えられていることと軌を一にします。
 一例をあげると、たとえば「殉教」には、「苦しみが大きければ、報いも大きくなる」(邦訳99ページ)と書かれています。その根拠として、マタイ5:12「義のために迫害されているものは幸いです。天の御国はその人のものだからです。わたしのためにののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。喜びなさい。喜びおどりなさい。(引用はここまで)」これを根拠に、「殉教」の時の、苦しみ方が大きく、たとえば残酷さの度合いがひどければひどいほど、死に方の悲惨さに比例配分されるように天国での報いが大きくなるなどという意味のことは、聖書にはどこにも書かれていないし、(著者はそう読みたいのでしょうけれど)示唆もされていません。
 ローマカトリックは、これに非常に酷似した誤った教義によって、殉教を賛美し、殉教者から「聖人公認」しはじめます。その遺物さえ崇拝の対象になり、やがてローマカトリックは「聖人認定権」を独占しました。当然のことながら、ローマカトリックには「殉教願望」さえ生まれるようになり、それは伝統となりました。日本での、フランシコ・ザビエルのカトリック宣教は多くの信者を得、豊臣秀吉らの弾圧に際して、信者は「喜んで死ぬ道を選んだ」とされるのも、そのような神学的な立場が影響していたのです。
 その一方で、プロテスタント教会の神学では、クリスチャン信仰の日常性が強調されました。それは、プロテスタント神学が聖書から学んだのは「いかに殉教者に近い死にかたをして、死後に大きな報いを受けるか」ではなく、今を「いかに生きるか」だったからでした。
 聖書解釈の誤りについてさらにいうと、主の姿に倣(なら)うという教えは、主イエス様のように地上で放浪生活をしたり、独身でありなさいということではありません。主は結婚について教えられたものの独身でしたが、結婚して子孫を残すことを使命としておられませんでした。そして、主に倣った死に方とは、「殉教者になる」ことや、「十字架刑で死ぬ」ことではありません。たとえば初代教会の多くのクリスチャンは十字架刑を受けて殉教したましたが、そのような死に方が、クリスチャンとして生涯を過ごし、やがて、モーセのように老衰によって自然な死をむかえるより崇高な死に方だとは聖書のどこにも教えられていないし、殉教による死を「老衰の死より上等」とみる必要もないのです。地上でのイエス様の死に方には、彼にしか託されていなかった救済の使命が示されているのです。
 それでも、今でも、クリスチャンはもしかしたら、信仰のゆえに殉教するかもしれないでしょう。共産圏や、イスラム圏諸国ではキリストを信じる信仰のゆえに殺される事件は、現在でも続いています。それが敬意に値するには違いありません。しかしそれは、たとえば日常生活を平穏のうちに過ごし、迫害受けることもなくただ静かに生涯をまっとうしたクリスチャンが、殉教者に比べて取り扱いが低くなるという意味ではないのです。
 クリスチャンの死について、それが殉教であれ平穏な死であれ、グレードが違う死があるなどということは、聖書のどこにも書かれていません。かえって「敬虔に威厳をもって、平安で静かな一生を過ごす」ために、祈ることも勧められています。(第一テモテ2:2)
 今でも敬虔に生きようと願うものは、迫害を避けれられず、もしかしたら殉教者になるかもしれないでしょう。
 しかし、死の時を支配されているのは、主です。生きるのも死ぬのも、自分のためではありません。死の時を支配されているのはただ主です。だから、主のためどう死ぬべきかがいつも心から離れるべきではありませんが、プロテスタントの先達たちは「今をどのように生きるのか」を聖書から学んできたのです。 パスカル(彼はカトリックの一員でしたが)のように「死を忘れるな=メメント・モリ」を心に刻んでいたとしても、聖書は、「もし、明日主が来られるのだとしても、今日植えるべき木を植えに行こう」(マルチン・ルター)という生き方を生み出すのです。
 聖書に教えられて、それぞれその地域にあった伝道方法で地域教会が地道に伝道をすすめていくなかで、ある日キリストの名をかたり、突然に、そして地域全体から反感をかうような方法(もしくは、好感をもたれない方法)で「宣教活動」がおこなわれたとします。たとえば、それによって当事者に対してばかりでなく、その団体とは関係がないのにキリストを語る地域教会に対して苦情が殺到したとします。これは単純に「はた迷惑」なのであって「迫害」とは呼べないでしょう。使徒パウロのように、ヤコブから示されたユダヤ人の感情に配慮せよとの申し入れに対して、謙遜に受け入れたようにではなく(使徒21章17−26節)、むしろ逆上し、「迫害」や「殉教者精神」の名のもとにさらに「恐喝」のような態度を押し進めることと、日本社会の中でなかなか理解され受け入れられず、迫害を受ける場合があるもいえるホームスクーリングそのものとは、全く何の関係もないのです。 
 ちなみに、エホバの証人(ものみの塔)の信者の息子が、交通事故にあい、医師から輸血をすすめられたものの、信仰上の理由で輸血を拒否。男子は死に至りました。一連の輸血拒否事件は裁判にまでなりました。死んだ男子の父親にはやはり「殉教の美化」がみられました。(蛇足ですが、ビートたけし主演によるすぐれた邦画に「説得 エホバの証人と輸血拒否事件」があります。)

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 リーダーシップのこと

 組織体には、リーダーが不可欠である。それはいうまでもない。リーダーがいなければ組織は構成員がバラバラにしか行動できなくなるので、リーダとしてどのようにふるまうかということ、つまり「どのようにリーダーシップが発揮されるか」にはもっと関心が寄せられていい。
 そんなことを言いながら、たぶん大ざっぱ過ぎるかもしれないけれど、「デフォルメ」の誹りをあえて引き受けなければならないとしても、どのようなリーダーシップがこれからの世代に期待されているのだろうかというのは一つの課題として重要だろう。
 たとえば、ある会議の風景をイメージしていただきたい。そこでは非常に活発な議論がなされている。はためからみると、みな明るく生き生きした活発さが感じ取れるかもしれない。ところが、すべての議論は、最期に登場するボスによって決められる。どんな議論を尽くされても、結論部分はいつもボスが決める。
 あたかも、水戸光圀の印籠が示されて「これが見えないか、ひかえぃ、静まれ!!」と宣言されてお決まりのドラマのように、お上判断が下されて万事目出たく終わる。たとえいろいろ闊達(かったつ)な議論がかわせられたとしても、最終的には「光圀の印籠」がすべてを決定し、方向づけるのだ。
 だから、最終的に、どんな議論が白熱しても、その結論には責任をとらなくてもいいことになる。最終判断が議場で掲げられるのはまだいいとしても、すべてが会議の前に決まっているのであれば最悪だ。言うまでもなく、これは独裁政治であり、悪いのは見た目の印象に惑わされるばかりではなく、最終責任を任せられていないために、判断停止状態から抜け出ることができず、議論さえ、結局独裁者の解決策を納得させられるための手段になる。リーダーの最終意見がどんなに完全無欠であったとしても、その結果、リーダーは、後継者を育てるのに失敗しているのだ。
 議論を尽くしたとしても、自分で判断し、自分で行動すらできないので、決め手となるのはリーダーへの従順か不従順かになる。だから、リーダーへの忠誠は、異論反論をいわず、言われた仕事をこなせばいい。それ以外のことは悪なのである。リーダーへの不従順は、たとえ動機がよかろうが悪かろうが断罪されなければならない。後継者が自分で考えることができないということは、非常に不幸なことだ。その実際の姿を、北朝鮮、そしてオウム真理教、いや過去の戦前・戦中の日本にはいくらでもその事例がある。
 組織体が健全な展開をしているのは、まさにこのリーダーシップの取り方において、どれだけ自分の判断で決められるか、その判断を実行できるか、判断したことに責任をとれるかによる。基本理念(認識)を守りつつ、結果がたとえあきらかに未熟で失敗が予想されたとしても、その失敗そのものから学べないようなシステムは、やがて終焉する。継承も改善もみられなくなるからだ。もともとの原因は、リーダーが自分の判断を後進にゆだねないで、いつまでも握って陰で操っていることにある。最終判断は、すべて「リーダー」がやってくれるので、考える力が育たないのだ。
 このような、後継者に考える力が育まれないシステムは、一般的には(あまりいい言葉ではないが)“老害(ろうがい)”と呼ばれる。
 このような衰退を生み出さないためには、リーダーが、自分の引き際について早くからシュミレーションしておくことだ。ある時点まで、リーダーとして牽引役が必要だったとしても、いつどのように引くのかを知らないというのは非常に悪いことだ。
 自分のやりかたの正当さをあくまで確信するので、後継者たちがだらしなく見える。それで、あれこれ「ちょっかい」を入れてしまう病気にとりつかれると、ガン細胞のように隠れたところで全身を壊死がすすみ、組織は再生できず、やがて死ぬ。
 リーダが自分の引き際を決めていないと、その組織体は何であれ、必ず腐敗しそして終わりを迎える。
 逆に、リーダーから基本原則を学び、早くから権限をまかせられた後継者は健全なリーダーシップを早くから身につけ、やがて群れを率いることができるリーダシップが育成されると思う。ボス猿がにらみをきかせるようにではなく、あたかも「部下のように仕える姿を示」しつつも、いつでも発言を許し、失敗を含めて判断できるように後継者にゆだねる道。それは、すでに主イエスが模範を示していた道だ。 

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内村鑑三の無教会主義

 私の郷里は北海道で、高校生のキャンプに参加した頃、数名の北大生がおられました。北大にはその名も「クラーク会」という聖書研究会が当時学内に存在していました。北大創立時期に講師として来日した米国人農学者W・S・クラークが伝えた信仰を継承しようとしているサークルなのだとわかりました。
 内村鑑三は、そのクラークが最後に残した、BOYS BE AMBITIOUS( IN CHRIST !) 「少年よ、キリストにあって大志をいだけ(原文では、「キリストにあって」が続いていましたがクラーク像の碑石では消されたという説と、後代キリスト者による創作であるとの説があります。)実際にどう語られたのか真偽とは別に、クラークは明確な伝道の意志をもっていました。
 彼から聖書に基づいた保守的なプロテスタント信仰を受け継いだ内村は、「札幌バンド」の一員としてキリスト信徒としての影響を内外に与え、やがて天に召されて多摩墓地の一角に眠る時、“I for JAPAN JAPAN for THE WORLD  THE WORLS for CHRIST  AND ALLfor GOD.”「私は日本のため 日本は世界のため 世界はキリストのため そしてすべては神のため」という内村自身の言葉が刻まれるに至ります。キリストにあって札幌農学校時代に大いなる信仰の大志を抱いた内村が、どのように「日本的キリスト教」を確信するようになったかに私は深く興味をひかれました。内村は「代表的日本人」のなかで、次のように語ります。

 「自分は2つのJを愛する。ひとつは ジーザス・クライスト(Jesus Christ)であり、ひとつはジャパン(Japan)日本である。2つのJ イエスと日本 そのどちらをより多く愛するか、自分は知らない。自分はイエス(Jesus)を信ずるが故に、日本人に憎まれまた余りに日本的であるが故に、欧米宣教師に嫌われる。しかし、私は2つのJ イエスと日本 を失うことはできない」

 来日したクラークについては、J.M.マキ著/高久真一訳「W・S・クラーク その栄光と挫折」という優れた研究書がありますので、詳細はそちらを参考にしていただきたいと思います。そのクラークが草案を書いた「イエスを信ずる者の誓約」は、簡易なものとはいえ、伝統的福音的な信仰告白を継承したものでした。(私は教文館の内村鑑三全集を4分の3ほど読み、その他にもいわゆる内村門下生である南原繁氏および矢内原忠雄氏をはじめ数人の本を読みました。)
 クラークを通じて信仰の光を与えられつつ、自伝では新島譲のすすめにより米国アマースト大学に学び、そこで教鞭をとっていたシーリ教授から最も影響を受けたと告白しています。ニューイングランドは、ピューリタニズム全盛の時代であり、内村鑑三は、ここでも近代主義の聖書観からではなく、聖書的には最も保守的な教育下にあったのだといえます。しかし、すでにアマスト大学の時代、内村は自分の墓石のための言葉を残したのでした。つまり、早くから「日本的キリスト教」の萌芽のようなものが内側にあったのだといえましょう。
 内村が日本の内外に与えた影響はきわめて大きく、田中正造(足尾鉱毒事件)、岩波茂雄(岩波書店)、青木義雄(宇都宮肥料商)、田中耕太郎(文部大臣、最高裁判所長官)、塚本虎二(伝道者)、矢内原忠雄(東大総長)など日本の重要な各分野に対してであり、しかも多岐にわたります。
 ちなみに、私が赴任したことがある横浜山の上教会長老の大村晴雄氏の奥様(故人)は、青木氏の娘「播(まき)」とおっしゃり、内村が名付け親とのことでした。(大村長老は、そのような経緯から岩波書店から出版された内村全集の編集の働きをさなっていたのでした。)
 私の関心は、今でも、内村が最初米国ピューリタニズムの影響下にありながら、どうして「日本的キリスト教」にこだわるようになっていったかにあります。その変遷が、有名な非戦論、やがて「無教会主義」へと関連しているのかにありました。韓国キリスト教の立場からすると、戦前日本に朝鮮人留学生として多数が日本で学び、内村鑑三の「無教会主義」に学び、帰国したものの、北部キリスト教が反日パルチザンに批判されたとき、日本で「無教会」を学んだ青年たちは、共産思想による既成教会への批判に同調し、多くは信仰を捨てて共産主義国家の建設にいそしむようになったのです。つまり、無教会主義とは韓国からすると、限りなく異端であり、破壊的な思想なのでした。
 日本の既成教会が天皇が現人神(あらひとがみ)という立場に全く賛成し、塩気を失った状態を嘆いたという内村鑑三の預言者のような信仰に基づいた無教会主義であったとはいえ、地域の教会形成(チャーチ・プランティング)を否定する立場は諸刃の剣なのであり、最初は教会批判一辺倒だったとしても、やがて教会論の基礎となっている伝統的聖書観をも攻撃するように変質するのだといえるのです。見える教会の否定や攻撃がたとえ純粋な動機からであったとしても、聖餐式や洗礼式、教職制度や日曜礼拝さえ否定するオリジナルの無教会主義に信仰の根をおくならば、やがて既存教会への批判に留まらず、信仰の足場である聖書観をも攻撃対象とするようになり、遅かれ早かれキリスト信仰そのものが維持できなくなるでしょう。
 
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 「日本国憲法」のすすめ
 
 クリスチャンの立場から、「ホームスクーリングのなかでただ聖書読ませるだけでいい」というのは、原則として聖書が信仰と生活のための唯一の基準なのだという意味では賛成ですが、しかし、もし聖書以外の書物を全く読ませないか、ほとんどを禁止しているような環境に子どもをおくとすると、それは聖書本来の示す聖書的な立場に立っているのだとはいえません。
 もし、聖書を世界と歴史について、もっともリアルな解釈を与えうる基礎として聖書を受け入れているなら、「聖書の権威」のもとに、さらに積極的に多様な学問体系を学び、あるいは批評するための道具を得ているということになるからです。
 私たちがホームスクーリングのなかで、子どもたちに、「禁書」を示さなかったのは、自由主義を基礎にしていたからではなく、宗教改革の伝統を受け継ぐ保守的な聖書観に立っていたからで、聖書は、「一般史」をも読み解く、弁証学の基礎を提供しているのだと確信していたからです。ホームスクーリングのなかで、聖書の次に、現行憲法の歴史を学ぶ必要があると考えました。条文を暗記させるとか、空で言えるようになるというような「聖書暗記」という意味の憲法暗記させるという意味ではありません。もちろん、それが無意味なのではありませんが、しかし、もっと大切な理由は以下に述べる通りです。(聖書を犠牲にして、憲法を学ぶべきだとかいう意味でもないのです。)
 第一には、「すべての高い地位にある人たちのために願い。祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。」(第二テモテ2:1)とある教えを、子どもたちに継承するためです。子どもたちを、この世から隔離した世界に入れてそこから一歩も出さないのではないとしたら、憲法の学びは当然です。
 今回チアコンベンションに招かれたマイクファリスさんが、HSLDAのホームページのなかで「Teaching Your Children the Constitution(「子どもたちに、合衆国憲法を教えましょう」)というビデオを紹介していておられます。簡単な解説として、Mike Farris discusses the importance of knowing the content and purpose of the founding documents of our country, and how that can impact our interpretation of issues today.(マイク・ファリスさんは、米国の基礎となる文書の目的と内容を知ることがいかに重要であるか、そして、それをどのように今日の話題のなかで生かすべきなのかを語っています。) 」とありました。
 第二には、これが日本史を学ぶための要(かなめ)になると思われたからです。
 旧「大日本帝国憲法」の効力が失われ、「日本国憲法」が発効するまでには、太平洋戦争の終結、つまり日本からすると敗戦を経なければなりませんでした。とりわけ、“明治”という元号すら、天皇の在位から時間軸を区別する、歴史観が反映しています。それでも、あえて元号をつかうとすれば“明治”という時期が何を意味していたのかを学ぶために、当時国のルールであった明治憲法ではどうなっていたのか、そして、それと対比しながら、たとえば天皇条項や、権利や自由の条項、行政・司法・立法のしくみがどのように変革されたのか学ぶことは大切でしょう。
 第三には、「日本の常識」を早くから身につけさせるべきだと考えるからです。憲法を通じての歴史の学びを、「この世の知恵だ」とかいって軽蔑しないでいただきたいのです。日本国が、すべて憲法の基本ルールに基づいて、運営されているからであり、ホームスクーリングも現行憲法の基礎の上で可能だと考えているからです。結婚が許される年齢があります。一夫多妻は禁止されています。就労してはいけない年齢があります。この国ではイスラム圏と違って、(本当は)信教の自由があります。共産圏と違って表現の自由もあるのです。この国のルールとしては、すべての国民が「健康で文化的な生活を営む権利」を与えられていて、天皇のために尊い命を犠牲にさせられたような戦前の仕組みから解放されているはずなのです。
 現在の国政のしくみを学ぶことで、日本国民であることで、どのような特権があり、また義務があるのかを知らさせるべきだと思うからです。今の日本人のルールが、「民族主義」を背景にして、現在の教育基本法改正(実は改悪)が現小泉内閣のもと画策されているルールとどこが違い、何が問題なのかを早い頃から知っておかなければなりません。敗戦以降何が確立し、どんな議論が存在しているのかについて、少年時代から学ぶ必要があります。
 現在の自由や特権や義務が、偶然の産物ではなく、すべてに必然的な理由(歴史的意味)があるのです。もちろん、クリスチャンは、すべてには神の意志が働いていると理解しなければなりません。その上で、政治・経済・産業のしくみがどうなっているのかを早くから知っておくべきだと思うのです。少なくとも、幼年期が終わった頃には、法律の歴史と、現行憲法のしくみを学んでおいたほうがいいと思います。優先順位としては、英語教育や、創造論にたった科学と同じくらいの位置にあると思うのです。
 第四に、日本国憲法が「ポストヒロシマ」とも呼ばれる核の時代において、世界が進むべき道を示していると思われるからです。ヒロシマとナガサキを経験した唯一の被爆国である日本が、核兵器が散在する世界に対して、発信できる誇りある立場がここに示されていると考えるからです。(ここには、もし、一度でも核兵器が実戦で使用されたなら、もはや敵も味方もなく、地球環境そのものがすべて核汚染されうるという、近代戦争についての認識があります。)

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 森有礼が描いた教育像


 
 森有礼(ありのり 俗に 「ゆうれい」と読まれる)は、いわゆる明治政府の文部大臣を務めましたが、「明治日本とイギリス」(オリーブ・チェックランド著 法政大学出版局)によると、1886年の「師範学校令」(当時法律は、すべて明治天皇の“勅令”という形態をとっていました。)の成立には、森氏が影響を与えたといわれています。森氏は、西欧化政策の方針にしたがって、イギリスの制度を参考に、日本国内の教育政策をおしすすめるようになったのですが、その時に英国のパブリックスクールに模範をもとめたものの、英国オリジナルの校風と、実際に日本国内でできあがった実体のなかに乖離(かいり)がみられると指摘されていました。つまり、「英国では、英国貴族として、特権と責任を伴うキリスト教徒の紳士としていかに振る舞うべきかを教えられていた・・・。これら『パブリック』スクールは階級という枠組みの範囲内で生徒間の強固な個人主義をつねに奨励したのである。」(169ページ)とあり、個人主義とキリスト教を強いバックボーンとしてもつことに対して、森有礼が日本に導入した「師範教育」は、「師範学校令」の目的が、「順良、信愛、威重」であり、チェックランドさんは、英国人らしい洞察をもって、ここに儒教の影響があるのではないかと解説しておられました。西洋化するために、英国から導入したとされているものの、できあがったのはオリジナルとは全く別の、軍隊式訓練と軍人教育を中枢に据えていくのでした。森氏は、形だけ英国式、中身は儒教の「忠孝」の精神が注入された、厳しい規律と、上官への絶対服従と、不服従への厳しい制裁を伴う軍隊教育をおしすすめ、国家による教育の「下駄」が、実質的にやがて完全に軍に掌握されていく道筋をつくったといっても過言ではありあせん。急激な西欧化の背景には、西欧に追いつき、そして追い越せという当時の世界が席巻されていた覇権主義の影響も色濃いでしょう。日本が西欧から学びたかったのは、「兵力」であり、「兵力」のために役に立つ範囲の“優秀さ”“従順さ”“まじめさ”が子どもの成長に要求されていたといえます。軍隊組織のために有益なのかどうかが、個人の資質への評価となります。英国でも表面的には、個人への規律がスクールの中で要求されていたものの、何を道徳規準としていたかがこの乖離を読み解くために理解しておくことが大切だと思います。前者は、キリスト教、後者は儒教。儒教道徳をすべて有害とされるのは本意ではありませんが、時の政府は、子どもたちを国家に忠実な「やくにたつ兵士」とするために、忠君思想をもって、オリジナルのキリスト教精神を骨抜きにし、やがて悪夢のように日本社会を天皇のために死に地に行かせるような狂気に導くのでした。
 現在の日本のホームスクーリングの実践が、森有礼氏が願った「優秀さ」を完全に乗り越えなければ、どんなに優秀な知的訓練を与えたとしても、それがオリジナルのキリスト教精神から離れていくことになります。これが「和魂洋才」といわれたものの中身でした。
 太平洋戦時下の後半において、キリスト教会の主流は、特攻隊兵士のために祈祷会をひらき、「特攻兵士が、皇国のために、りっぱな戦果を残せるように」熱心に祈ったのでした。
 教会は、時の権力である明治政府の方針に沿って祈ることはできたのでしょう。子どもが、愚鈍ではなく優秀に育つことを願うことはできたのでしょう。
 ところがその方針そのものを、聖書的に吟味することはしませんでした。すでに、内面がマインドコントロールされていて、正義と不正義の区別がつかなくなっていたからです。
 このような時代の到来を、ひたすら国民のため良かれを思い描いていたキリスト者森有礼が予想していなかったのでしょうか。「皇国(天皇が支配する国)の進展と発展が、主のためである」とつゆだに疑わなかったクリスチャンのほうがむしろ多かったからでしょう。しかし、実体は、すべての国民そして近隣アジア諸国に殺戮と悲惨をもたらし、国民を戦果にまみれさせ、生き地獄そのものを経験させていったのではないでしょうか。このような西洋化を促進させてきた森有礼のような要職にあったクリスチャンの役割とは何であったかが再考されなければなりません。いえ、政府高官となった彼らにとって「洗礼を受ける」ということが、いったい何を意味していたのかも問われなければならないのです。

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「国家認定」という罠
 「宗教法人」や「NPO法人」を含めて、教会やクリスチャン活動が国家から認定を受けるということの、聖書的意味を考え直したほうがいいのではないかと思います。念のためですが、国家が資格認定することについて、すべてを問題視しているわけではありません。たとえば、人の命にかわるような、医師、看護士、救急救命士、法的な判断を下すようになる専門職はじめ、車の運転免許制度他、国定の認定資格が存在するのは、むしろ必要なのことです。
 ここで話題にしたいのは、クリスチャンやクリスチャン活動、それに教会、もしくは教会が国家に対して自律的にもっている教職者認定制度が「国定」に馴染まないのであるなら、クリスチャンスクールなどの教育と宣教と密接不可分の関係にある活動をNPO法人化することについて、もっと問題点を認識すべきなのではないかと思いました。宗教法人は、文字通り、宗教活動への「認可」ですが、オウム事件依頼、国家統制と全く無縁とはいえないのがもはや事実なのです。
 それは、国が宗教活動や非営利団体についての定義をもうけて、その枠組みにあわせて「認定する」ということを意味するからで、「国認定を受けた教会」という意味が何をあらわすのかについて、クリスチャンは立ち入った聖書的な意味の議論をしてこなかったというのも現状なのです。
 宗教法人であることは、少なくとも現在この国での宣教活動の「自由」への何らかの法的な縛りとなるかもしれないのであり、それがむしろ“脅威なのだ”とされなければならないでしょう。たとえば、オウム真理教に対しておこなわれた「宗教法人取り消し処置」は、国家がどんな「宗教」でも宗教弾圧の対象にするのではないとはいえ、法人格を受けた団体が、“とりしまり”を受ける側にいつでもなりうることをしめしたのだと思います。あの事件依頼、“宗教”と名のつく団体への警戒感が広まったことは否めません。
 一方で、結婚するための「公的資格申請」などというものは存在しません。ただし、この国には、(現実には過去のことであるとはいえ)、ハンセン氏病患者に「断種思想」が存在したことは、今明るみにだされたばかりでした。子どもが生まれたら、「親として適格なのかどうか国によって審査」される必要はないのです。これは極論に例をひこうとしているのではありません。自動車に関していえば、米国には車検制度はありません。それは車のメンテナンスは、車のユーザーがおこなうというのが常識になっているからでした。米国人が車に非常に詳しいのは、そのような背景があります。車が故障しないように気遣わなければならないのはユーザーなのであって、わざわざ“国定検査”してもらう必要はないのです。日本では、やっと「ユーザー車検」が認知されるようになったものの、私も車検場の窓口で「検査はプロに任せたほうがいいですよ」と言われました。半日かけて、クリアできたもののこのような検査制度も、はたして必要なのかどうか疑う必要があります。
 クリスチャンスクール(チャーチスクール)のNPO法人化も、同じ課題を背負うでしょう。
 教会活動を国に認定してもらうなどというのが、きわだって大きな問題になるのは、日本ではなく、たとえば中国などにその実例があります。「三慈愛教会」という公認教会は、迫害しないことを公的に認知された教会ですが、そこでは国(共産党政権)の批判をしてはならないことになっています。つまり、公認教会は「国策(こくさく)の批判をしない限りにおいて、公認」されているのだといえます。
 もし、中国に身をおいて、聖書を素朴に信じて、国のために神の主権を信じて祈るように導かれたなら、その信徒は公認教会を離れて、地下教会との交わりをもたなければならないでしょう。まさに、中国地下教会にこそ本当のクリスチャンがいるといわれるのもそのような背景があるのです。
 「公認されるかされないかは、本質的な問題ではない」のでしょうか。そうではなく、国家が宗教を定義する時、そこには必ず統制的な力が加わっているのだと考えなければならないと思うのです。数10年〜数百年という長期的視野に立ってみるとき、教会の体質の弱体化)(キリストにある実を結べなくなること)を招くことは、目に見えています。
 来日されたケビン・スワンソンさんが分科会講演の合間に、私に語ってくださったことが記憶に焼きついています。「教会やクリスチャンの活動が、国などから経済的な支援をもらうとき、それは堕落することを意味しています。ですから、ホームスクーリングのネットワークも、絶対に(absolutely)そのような支援を受けてはならないでしょう。」ケビンさんの言葉は、きわめてはっきりしていましたが、それは、米国のクリスチャン団体、教会、クリスチャンスクール(すべてではないでしょうけれど)にみられるスタンスを代表しているといえます。もちろん、これは財政面を話題にしていますが、それだけを意味しているのではありません。それに、「カイザルのものはカイザルに主のものは主に」とのみ言葉に従って、政治と教会が分離されつつも健全な関係にあるべきであるという考え方がふまえられていることは言うまでもありません。
 ちなみに、日本の宗教法人法では、非課税など税制上の優遇処置があるが、NPO法人には税制優遇はありません。ただ、直接な公的支援はないものの、NPOへの支援を受けやすくなるなどがうたい文句になっているというのが現状です。
 認可主体は、内閣総理大臣。認定を維持するためには、行政所定機関への恒例の定期的活動報告が求められます。
 さらに厳密にいえば、NPO法人は、政治活動のほか、“宗教活動もしない”ことになっています。
 以下のPHを確認してください。
http://www.e-jimusyo.net/npo/n06/index.htm
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日本から世界へ


   「海外宣教祈祷会」という課外活動が、東京キリスト教学園(旧TCC 現在のTCU)にありました。在学生有志からはじめられ、私も創設期からのメンバーの一人でした。内容は、早天祈祷会を通じて、当時日本から派遣されていた宣教師たちのために、具体的な課題をあげて祈ることが主な活動で、そのために、直接宣教師を招き、機会が許されたなら海外で実地見聞をおこなうなど、「学生」の領域としては、最大限のことをしていたなと思います。(その中から、実際に宣教師として海外で活躍しておられる方が私の記憶の中だけでも数名、そして牧師数名がいらっしゃいます。)
 現在の武蔵野福音自由教会の初代牧師でいらした故古山洋石(ようせき)先生が、現役の宣教師として活躍されていて、国内でもJOMA(ジョマ)の活動を通じて、日本の青年に宣教のチャレンジをと願って、京都で宣教カンファレンスを開催してくださいました。私も、参加する機会を得ました。さらには、1973年に、フィリピンで開催されたIVCF主催の青年アジア宣教会議には、KGK総主事でいらした太田和功一さん(現在IVCF東アジア地区総主事)からこの海外宣教祈祷会にもお誘いがあり、私も数名の一人として参加させていただきました。当時、20歳そこそこの時で、右も左も何もわからなかったというのが正直なところです。それでも、非常に貴重な経験と知識を得ました。
 フィリピンから唯一の宣教師として派遣されていた当時OMF宣教師・マギラン夫妻もこの会議ではからずもお目にかかることができて、主にある交わりを感謝しました。あの時から、数十年を経て、マギラン先生が『日本へのフィリピン人宣教師』でいらしたその事実の重さを、日本の戦中戦後の歴史を学べば学ぶほど、感じるようになったのでした。
 私が学生時代に、JOMA世界宣教マップがつくられ、「祈祷会」で扱った宣教師をほぼカバーしていたものの、本当に存じ上げていない宣教師のほうが、むしろ多かったと思いました。宣教地の事情もあるのでしょうけれど、宣教師が「スター」として脚光を浴びるべきではないのであり、むしろ、最も過酷で険しい宣教の業なのだと思いました。その中でも、マギラン宣教師夫妻は「かつて日本兵を通じて虐待された民」であるにもかかわらず、日本(北海道)での教会形成にいそしまれていた姿だったのだという思いを強くしています。
 このような過去のことを、思い出していたのは、一般紙である「東京新聞」(2005年3月8日)夕刊「心のページ 生きる」の欄に、活ける一麦教会派遣宣教師として、カンボジアで10年の活動を続けてこられた、菅家庄一郎(すがや しょういちろう)さんご一家の自己紹介が掲載されていたからです。一般紙とは思えないほど、自然なあかしの文章で、とても感動ました。
 混乱からの祈り −カンボジア伝道10年−というすばらしい文章があり、その中から以下引用させていただきます。
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 「カンボジア人のあるクリスチャン高校教師は、地方からプノンペンに学びに来ている学生たちに住む場所を提供している。120人ほどの大学生が狭い部屋に分かれて住んでいる。彼自身、毎日1、2時間の睡眠で、強制労働を強いられたポル・ポト時代を生き延びた。結婚もせず、学生たちに聖書を教え、正しい生き方を指導している。」
 「私たちが日曜礼拝していたプノンペンの教会には、売春婦になりそうなところを助けられた人、字の読めない女性たち、30分以上の道のりを自転車に乗って礼拝にくる痩せこけた老人など30〜40名ほどの人が集まっていた。彼らは、喜びに溢れて生ける神を日曜日ごとに礼拝している。
 私が最も喜びとしている働きは、カンボジアの学生たちとカンボジア語で共に聖書を読むことだ。自分の肉親をポル・ポト派という同国人に殺されたことに対する怒り、うらみをもっている学生たち、小乗仏教の世界観の中で、自分の現在の人生は、前世の行いによって定められていると思い込んでいる学生たちと、聖書を読みながら対話をしていく。
 その中で、イエス・キリストが神であり、西洋人だけでなく、自分の人生を正しく導いて下さる神であることを見いだしていく学生が出てくる。『自分たちは惨めな貧しい国の学生だ』という意識から『神に愛されている者として自分にも何かできる』という積極的な生き方に変えられている学生に出会う。」
 「知人、友人でもないのに、死ぬためだけに集まっての集団自殺、情報の洪水のなかでの孤独、飽食の中での飢餓・・・という問題は、カンボジアの悲劇より悲劇的だと感じるのは、私だけであろうか。」
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 グローバリゼーションの影響で、これからの時代に生きる子どもたちは、ますます東南アジアを含めた世界の人々との交流を迫られることとでしょう。時には会社関係で、そして、ホームスクーリング出身の宣教師も必ず与えられるでしょう。当然のこと、語学力は英語の他にいわゆる現地語で話し読み書きできることが必須条件でしょう。私は、それに加えて、2つの絶対に欠かしてはならないものがあると思います。それは、たとえばカンボジアが宣教地であれば、そこに住む人々が自分たちの言語で聖書を学び、その経済力において、主にある訓練をもって「見える教会」を形成できるようになるという、「宣教の現地主義」でしょう。かつて日本の教会が韓国に対してしめしたような、国家の植民地支配の「道具」とされることをわかった上で、まるで手段を選ばないかのような宣教活動は望ましくないでしょう。
 そして、日本民族として、過去に犯した罪(東南アジアばかりでなく、英国・米国に対しても加害者だった過去)を認め、主にある心からの謝罪を認識していなければならないということです。ホームスクーリングをおこなう家庭にとって、近・現代史を学ぶ機会をと願う背景の一つがここにあります。
 今日も、難しい中近東イスラム圏ではたらく数名の方のために、祈りたいと思います。

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