《悔い改めのもたらす恵み》
 
 日本とドイツの戦後処理の内容の違いが、両国の違いとして浮き彫りにされます。

それは、結果としてたとえば戦後補償など戦後処理の違いとして表面化していますが、両国のキリスト者の意識の違いが根本に大きく横たわっています。日本人キリスト者は、これまで、どれだけバジレア・シュリンクさんの祈りを自分の国の脈絡の中で実現してきたことでしょう。どれだけ、日本が近隣アジア諸国のなかで犯してきたナチの犯罪に匹敵する数々の罪を、自分の罪として悔い改めてきたことでしょう。バジレアシュリンクさんの言葉の中の「ドイツ人」を「日本人」に、そして「ユダヤ人」「イスラエル」を「中国人」「韓国人」におきかえてみるだけで、日本人クリスチャンは、これまで史実に対して無知であったばかりか、罪に対して、何の痛みも感じてこなかったのではないかと示唆されるでしょう。悔い改めなければ、本当の再生はありません。クリスチャンこそが、悔い改めの意味を知っているはずです。
 私は、ホームスクーリングで育った子どもたちが、歴史の学びを通じて、バジレア・シュリンクさんの言うような意味での悔い改めの祈りに導かれ、この国を本当の意味で再生させるためのリーダーシップをとれるように、心から祈っています。しかし、悲しいことに、学校教育には、悔い改めを生み出すための「史実」すら教えられていません。教科書の記述問題があります。(それも非常に大切ですが)しかし、その核心部分は「心の問題」なのです。ですから、ホームスクーリングの家庭において、その子どもたちにこそ、歴史修正主義者たちによってねじ曲げられた偽物ではなく、主にある悔い改めに導かれるための正確な「日本の近現代史」が教えられる必要があります。

《「神の現実」を知らされる》
 さらに、バジレア・シュリンクさんによってドイツ・ダルムシュタットに創始された「マリヤ福音姉妹会」の信仰のあかしは、「神の現実」という本に凝縮されています。ぼくが、バジレア・シュリンクを知ったのは前述のような戦争責任をテーマとした局面からですが、それは、ただの入り口にしか過ぎないと知らされています。今、すべての解決を神に祈り求めた祈りの力とは何か、それに「天国はあなたがたの中にある」というみことばの重みとは何かを深く示唆されています。
 マリヤ福音姉妹会のあかしの概略は以下のページを参照してください。
http://swedenborgian.hp.infoseek.co.jp/maria.htm
 

by Haru-san(^_^)/~

バジレア・シュリンクの著作の購入は、直接カナン出版まで、お問い合わせください。
〒814-0191 福岡市城南郵便局私書箱20号 (Faxのみ) 092-865-6372

バジレア・シュリンクの祈り

主よ、わたしたちの手にからまっている血が尽きることなく、叫びを天にあげています。イスラエルに対する重大な罪のためです。わたしたちの犯した罪の山は、果てしなく、筆舌に尽くしがたいほど大きいのです。
 わたしたちが冷酷にも容赦なく死へと追いやった人々の前で、深く悔い改め、自ら塵の中にひれ臥ます。ああ、わたしたちが犯してしまった悪を、神の選民に対する愛情を示すことによって今こそ償うことができますように。その御傷によってわたしたちを癒やしてくださったイエス、神の子羊こそ、わたしたちが苦しめた方です。ああ、イエスの嘆きに耳を傾けようではありませんか。「わたしの民に対する攻撃がわたしの身に降りかかってきたのだ」
(バジレア・シュリンク「イスラエルのための祈り」)

わたしたちは、神に選ばれた民を愛することを怠りました。この民に対してわたしたちは重大な罪を犯しました。わたしたちは、何万人というユダヤ人の死に対し、また彼らを救出するためにほとんど、あるいは何もしなかったということに対して責任を共有しなければならないのです。クリスチャン社会を構成するわたしたちは、ルカによる福音書10章で描かれているような盗賊に襲われた人のそばを通り過ぎ、死の寸前にまで放置した冷たい心の祭司やレビ人のようだったのです。わたしたちは目を背け、口をつぐみました。最大の困難の時、彼らを置き去りにしました。わたしたちには、愛と憐れみを示せよ、という戒めを守るよりも、自分たちの安全の方が大切だったのです。(マリア姉妹会 50周年記念「まことなる神をたたえて」p44-45)


 私たちドイツ人は、恥を感じることなしに、昼は太陽の光を、夜は星の輝きを楽しみながら、母国の空の下を歩き続けてよいものだろうか。近年、この同じ空の下で、わが国民の中で、昼と夜となく何百万人もの死体を焼く巨大な炎が燃え上がったことを、私たちは常に心に留めておく必要があるのではないだろうか。あの炎は絶望の叫びであり、訴えるためにあげられた指ではなかっただろうか。・・・・まず第一に私たちの悔い改めの涙は、ユダヤ人の共同墓地をあたかも覆うかのように流されるべきだ・・・・。これがなされない限り、私たちは、どこに神の怒りから逃れ、どこにいける神の怒りから身を隠せようか。たとえ『海の果て』まで逃れようとも、神の手は私たちを連れ帰り、私たちの行くところどこでも、神の呼び声が聞こえてくるだろう。『おまえの弟アベルは、どこにいるのか?』おまえの兄弟イスラエルは、どこにいるのか?いったいどこにいるのか?」そして、神は、煙を噴く煙突が立っていたアウシュビッツ、トリブレンカ、マイダネック、ベルゼク、グロースローゼン、ソビブールを指し示されるだろう。
バジレア・シュリンク「イスラエル 神の選民−神とユダヤ人の前でのドイツ人の告白」


告白の重要性
国家の罪を告白し、悔い改めること、特にユダヤ人に対する犯罪を告白し、悔い改めることこそ、第二次世界大戦の余波が残る中で創立されたマリア福音姉妹会の土台です。このことを物語る多くの実例があります。たとえば、ドイツのシスターが自発的にイスラエルの病院で奉仕したことや、1960年代にフランクフルトで行われたナチス裁判で証人に立ったユダヤ人を暖かく迎え入れたことなどです。
償いをしたいという切なる願いに駆り立てられて、マザー・バジレアは1961年にエルサレムにベト・アブラハム(アブラハムの家)を創設しました。「輝くエルサレムを見よ」(141ページ)