キ リストのみ業は「家庭」にどのような意味をもたらしたか
   
 ¶ キリストのみ業による祝福は家族単位に与えられ、個人ばかりではなく家族を支える力です。
  ホームエジュケーションは家族が潜在的に与えられている教育力を引き出すために最善の教育方法。子どもを養育することは、家族に与えられた使命の一部 でありながら、学校に幽閉され取り込まれていて、教育の原点が家庭でありスタート地点であると確認するところから出発します。
 ¶ 教育という言葉そのものについても再検討が必要です。 
   子どもが育つためにそれぞれに“個性”があり、能力(賜物)に違いがあります。ホームエジュケーションにおいては“学年”という考え方に縛られる必 要はありません。
 ¶ 親は常に子どもの模範となるべきですが、親は「育ててくださるのは主である」という考え方を基礎にすべきです。
   親の考え方に従わせるのが最終目標ではありません。それでも、親は模範であり子どもは親のもっている価値観を外れることはできません。
   実際に関わるのは母親との時間が多いでしょう。けれどもたとえ時間が少ないとしても、父親の責任は非常に大きいのです。
 ¶ 子どもの能力開発に関心を払うべきでしょう。ただし子どもの能力のなかで“記憶”は一部にしか過ぎません。
   いわゆる“ほったらかし”はホームエジュケーションとはいえません。どのようにしたら子どもたちから能力が引き 出されるか常にそのプロセスに関心を寄せ、研究する必要があります。「アンスクーリング」がもつ可能性はとても大きいのです。
 ¶ 人の能力が開発されることそのものが「聖霊の賜物」です。親の自己満足が最終目標なのではありません。
   聖霊の働きの“多様性”を受け入れる。ホームエジュケーションは“神と人への愛”が増し加えられるためにおこなわれるべきです。親が自分の願いを 子どもに託すとか、親の願いを子に託すなど自己実現の手段としておこなわれるべきではありません。