Tokyo 10月8日
         
信仰生活と子どもの成長プロセスからみた親の立ち位置

 ¶ 親と子であると同時に、主にあって、兄弟姉妹であり、共に主にあって信仰の成長の途上にあると自覚したい。
   親であるからという視点ではなく、“伴走者”であるという立ち位置が見える。
 ¶ “伴奏者”は、同じコースを走りながら、コースの特徴を熟知し、どう走ったらいいのかを知っている。先に知った存在としての能力差を意識しなければ ならない。同時に、子どもは親への尊敬を、十戒の「あなたの両親を敬いなさい」という戒めの縛りを超えてはいけない。両親には無条件に従う。親は、無条件 であることを“理由”にして、暴君のような所作は許されない。同じ主にある弟子の一人であると自覚しなければならない。

 ¶ 子どもは教育されなければならないが、しかし、親も全く同じ意味で教育されなければならない。
   育てるのは主である。

  第一コリント書3章
   6 私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。 7 それで、たいせつなのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです。 8 植える者と水を注ぐ者は、一つですが、それぞれ自分自身の働きに従って自分自身の報酬を受けるのです。 9 私たちは神の協力者であり、あなたがたは神の畑、神の建物です。 10 与えられた神の恵みによって、私は賢い建築家のように、土台を据えました。そして、ほかの人がその上に家を建てています。しかし、どのように建てるかにつ いてはそれぞれが注意しなければなりません。 11 というのは、だれも、すでに据えられている土台のほかに、ほかの物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。


 親と子の“境界線”は、主によって据えられている。
 親は神によって立てられた権威をもつ。
 しかし、神はご自分の子として、親と子双方を許し、そして受け入れられている。親は絶対的な権威をもつが、それは主から委託された権威であり、自分に属 するものではない、先に生まれたものとして、子どものために模範を示し、能力が引き出されるような環境を創り出さなければならない。